
2024年7月に取材開始。私自身が出掛けているかのようなiPhoneによる映像の臨場感がすごいと思っていたら、タクシーの運転手に、ヘブロンの旧市街の商店主に、壁が出来てからの変化などを聞く際の移動の映像に酔ってしまい、第一章「壁の外側」の間は殆ど目を伏せていた(丁寧なナレーションで内容が推測でき助かった)。
第二章「壁の内側」はイスラエル人のデモの映像に始まる。その目的はあくまでも人質の解放で、オープニングにまず言及した、子ども達が大勢殺されている事実には全く触れないとナレーションが訴える。そこへ独立系メディアを運営しているユダヤ人ジャーナリストがイスラエルの人々は壁の外側の惨状を全く知らないと述べるインタビューが挿入される。20年前に彼の兵役拒否につき取材してからの繋がりだそうで、監督の新聞記者としての歴史が映画の作りを豊かに流暢にしている。ちなみにこの映画の特徴は、上映後のトークを聞いて思ったことに、私の場合は映画の作り手側がそうした場で話すことと自分の印象に残ったことが常に全く被らないのが今回は被っていた、すなわちコアのはっきりした作品だということだ。
兵役を拒否する若者のうち、刑務所には既成のCDしか持ち込めないから既成品に好きな曲を取り込むのだと、私の聞いたことのない話をしながら移動する一人が、自分の居場所は(家族が属する)超正統派にも普通の生活にもないと話す。「普通の生活」とは当然のように兵役に行く生活だ。彼らのデモ、兵役義務化に対する超正統派の抗議運動、それを蹴散らす馬上警察の三者を捉えた映像の迫力たるや。個人メディア?のカメラの前で語る若者の後ろで超正統派の中年男性がユダヤ教は戦争を否定していると応援する。「おれの家族は戦死した、お前らは国の恥だ」「ガザへ行け!」と言ってくる奴らとの衝突は日本で見る光景に似ている。ナレーションいわくの「今のイスラエルの混沌とした状況そのもの」は身近にあるということだ。
「壁の外側」「壁の内側」に次いで「Borderless」の章に入る。舞台は前半にも映像が使われているマサーフェル・ヤッタだが、そこにあるのは「ヒューマニズムに基づいた個人的な活動」によって築かれたイスラエル人とパレスチナ人の交流、つまりボーダーレスとは土地ではなく場所に意味付けする人間に在るというわけだ。ヒューマニズムに基づく活動はおよそ兵役拒否もこうした支援活動も国から離れて個人でしか行えないというのも今の日本と同じで…あるいは「そういうもの」なのか…今一番考えるべきはそのことだと思う。映画は夫を失い4人+1人の子の面倒を一人で見る女性の手による、食べるのではなく飾るためのバラ、再び先のイスラエル人のデモの映像に終わる。イスラエルの人々、いや世界の皆が「壁の外側」の実情、その悲惨さに加えて豊かさを知ることが大事なのだと言っている。