マルティネス


職場の同僚が柑橘類を剥いてほとばしる果汁とおそらく匂い、人事の女性の身内の不幸による欠勤、全てが当初のマルティネス(フランシスコ・レジェス)には不快なノイズである。しかしそれらこそが生のしるしであり、大きなテレビの音は隣人が死ぬ間際に放った巨大な生なのかもしれないと思う。彼はそれを一方的に受け取ってしまった。

リボンの付いたプレゼントを受け取るや雨に濡れてしまうであろう亡き贈り主の荷物を一つずつ全て自分の部屋に運び入れるマルティネスのふるまいに、彼は心の中ではずっと「それ」を求めていたんだと思う。プレゼントの中身が大して映されないことから、「それ」とは会話ならその内容じゃなく会話すること自体、端的に言って触れ合いなんだと思う。最後に彼がコンチタ(マルタ・クラウディア・モレノ)を笑顔にする箱の中身だって関係ないのだ。

「彼女を思うと泳いでいる時の感覚になる」とのセリフから、マルティネスにとって水泳は僅かな解放の時だったと分かる。寝間着以外の格好はスーツかadidasのジャージのみの人生には仕事しかない。「外国人」である自分は仕事によって認められねばと縮こまり「標準語」でのみ話す。海についての父親の「大量の水なんて見て何になる」だって作り話のうまい、いやうまくならざるを得なかった彼の自身のための創作かもしれない。

やがてコンチタの「おせっかい」もパブロ(ウンベルト・ブスト)の「調子のよさ」もマルティネスの頑なさと同じ、生きるための自分なりの手立てなのだと分かってくる。二人はそのことを自覚しており彼に寄り添ってくれたんだろう。スーツでもジャージでもない「私服」を身に付け旅の最初の目的地たるパブロの家で食事を共にするマルティネスの姿に、何事にも遅いってことはないと思う。私としては殴った男性への謝罪も旅のうちならいいなと考えた(彼のあの行動には、触れ合いの始めには「有害な男性性」が出てしまうものなのだと考えた)。