あの夏、僕たちが好きだったソナへ


リメイク元のギデンズ・コー『あの頃、君を追いかけた』(2011年台湾)の細部は覚えていないけれど、主人公の男女が結婚するわけではない結婚式、の内実があんなふうである上に男同士のキスを作中ずっとあんなふうに扱う時点で本作は、いやいや今年は『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』があるから!で終わりである。主人公ジヌ(ジニョン)の、家では夏場は裸エプロンの父親が特別出演のパク・ソンウン(で母親はそのパートナーのシン・ウンジョン!)というのには心が踊ったけれど、その楽しさも「お前はしっかり勉強しろよ、さもないと(おれみたいに「女房の尻に敷かれる」ことになるぞ)」なんてシーンで超マイナスになってしまった。

結婚式でジヌが見るいわばパラレルワールドが彼の「ごめん、遅れて」で始まるのは、格闘技の大会での別れの後に気付いた「女は男より先に大人になる」ということへの答え、二人が結ばれなかったのはもう取り戻せないその時差によるということなんだろうけど、『(500)日のサマー』(2009年アメリカ)などでも描かれてきた「男女」関係にはつきものの問題、男が女を「守る」ための暴力は、男が大人になるのが遅いからとかそういう問題じゃない。全般的にジヌのキャラクターには例えば『国際市場で逢いましょう』(2014年韓国)のユン・ドクスのような、社会規範の中での最大限の「優良」とでもいう感じを受けた。あくまでも社会にはもの言わない姿勢が表れている。

一番納得いかなかったのは、「高校通じてモテモテ」のソナ(ダヒョン)が「私なんかを好きになってくれてありがとう」などと口にするところ。「モテモテ」で嫌な目に遭うのが現実なんだからそういう描写の提示はよくない。ドラマ『キム秘書はいったい、なぜ?』(2018年韓国)のように…キム・ミソはいわゆる自己肯定感が低いわけではないけれど…「完全」に見える女性の事情や心情が明かされるのかと見ていたら何もないので拍子抜けした。ただ、ギデンズ・コーの映画があの結末に至った経緯は忘れたけれど、ソナの「あなたが見ているのは本当の私じゃない」を受け取ったジヌが、ぼくは君を永遠に記憶に留めておくと彼女の結婚を祝う、すなわち男が女そのものじゃなく自分の幻想と付き合うのはよくないとする姿勢はまっとうだとは思った。