
2000年頃の忠清道のとある高校。「アクシデントで眼鏡を壊される」オープニングから早々に、「女」が「女」を好きになること、そういう「レズビアン」は差別されること、同じレズビアン同士の間にも(差別されるがゆえに)齟齬が生じることが描かれる。原作は未読だけど、それらを大前提に、最初から最後まで下敷きにしているところがこの映画の一番の特徴であり素晴らしさだ。語り手のイギョンは大好きなスイのことを「理解できないまま終わるのが怖い」と考えるが、スイの内心を言動によってのみ伝える語り口も私には誠実なものに思われた。
毎日届けられるイチゴ牛乳に始まり一緒にラーメンとキンパを食べ一緒に川を見、「犬のように茶色い」と侮辱される目を初めて見つめられ、抱き合った時には「自分が骨や肉や皮膚を持つ存在であることを感謝した」(私にも似たような覚えがある、これこそ恋!長くは続かないけれども)。アニメーションであまり見たことのない女同士の表現が続く。成就した恋は歩み始めるがスイのサッカーで食べていきたいという夢は他者の悪意(「相手は有望な選手だぞ!」に盛大な不公平が表れている)で潰され、世界は二人ではいかんともし難い不安に覆われてゆき、やがてスイは「自分のことを話さなくなる」。
イギョンが教師のすれ違いざまの「お前の髪は茶色いな、染めてるのか」にまともに反論したところで相手は隣の教員と次の話題に移っている、興味なんてないのだ。それでも彼女は自宅で一人、髪を黒く染める(が内側は茶色いまま変わらない、変えられない)。スイはサッカー部の部員達にイギョンといるところを悪意たっぷりにからかわれイギョンを振り払うが後悔する。抑圧の種類の違いからくる齟齬は卒業後にソウルへ出ると大きくなるばかりだ。大学に通い始めレズビアンのコミュニティに飛び込むイギョンに対し二人だけでいたいスイ。頼もしくかっこよく見えていたスイが、アルバイトの後に合流してくれても夜の店でみっともないと感じてしまう。そして自己嫌悪、そこからの行動。こうした「感じ」がアニメーションで描かれているのが新鮮で、本作は連作ものの一篇だそうなので、他にはどんなことが描かれているのか見たくなった。