早稲田松竹のフレデリック・ワイズマン特集にて、見逃していた二作を観賞。

志願兵が「犯罪者」であるかのように体のサイズを測られ髪を刈られ指紋を取られるのに始まる『基礎訓練』(1971)で、何度か出てくる懲罰房との言葉に既に懲罰を受けているようなものなのにと違和感を覚えていると、上官が「お前もバレーボールをしたり手紙を書いたり本を読んだりしたいだろう」。それが非・懲罰かと思う。
訓練仲間を殴った者、暑い日にコーラを忍ばせていた者、防火当番をさぼった者、事情は無視され全員が命令されないことは決してしないよう言い含められる。「陸軍ではまず命令に従ってから上官に不平を言うんだ」「従ったら死ぬ可能性だってある」「戦場では従わないと死ぬかもしれないぞ」「ここは戦場じゃありません」。会話とはこのように噛み合わないのが「普通」なのかもと思えてくる。入隊式での上官の「体制に反対で戦争が嫌だという者もいるだろうが、もう遅い」とは何がどう遅いのかスピーチの続きを聞いても分からなかったのが、見ているうちに全てがもう遅いのだと分かってくる。
銃撃訓練の場面の冒頭が「この銃は人を殺したことがありますか」との質問とは変な言い方だけど劇映画のようだ(どれだけの量を撮影した上で抽出していることか)。皆の前に出された一人が命じられる「股間に銃床をあてて…」に笑いが起こり上官もそれを受けて「彼には妻子がいるが仕方ない」。しかし映画は笑わず無言の者達の顔だけを映し続ける。一方で組み討ちの訓練となると仲間内のゲームのようなものと捉えられ皆が一丸となっているのか、やっちまえ!頭を狙え!とのいわば声援を送る者達の顔が映される。どちらも怖いのに奇妙なものだ。

総督が「ベトナム戦争は辛かったが儲けになった」と言ってのける『パナマ運河地帯』(1977)は、人工物にはやはり雄大という形容詞は使えないな、巨大もしっくりこないな、唯でかいとしか感じないなと思わされる、運河を通る船周りの映像に始まる。
パナマ運河警察の女性が「紳士淑女の皆様、といっても男性は少ないですが」と始めるのは彼の地では法に触れないという児童虐待についての講演。軍人は若いので子どもも小さく、妻は知らない土地で一人きりのため虐待が起きやすいと。国旗の退役式?を行う婦人会は私達には国旗を処分する権利がないので代表者の男性を呼んだと言い、彼らはこじんまりした式にこそ価値があると持ち上げる。パナマ運河会社の女性は自分達の施設は軍も使うのに軍の施設は使わせてもらえないという不公平を訴える。例えば軍の赴任がなければ児童虐待の増加もないわけで、全てが矛盾の中にあるが、女性達は権利を求めている。
それにしても結婚の話ばかりなのは、管理された「標準的な」結婚を基盤に国が発展してきたことの表れだ。ここにはそのシステムの中に生きる人々が、「標準的な」結婚に抗うウーマンリブに対しどのような態度に出たかということが記録されている。ボーイスカウトの授賞式では、年配の白人男性がスピーチで「women's liberationの介入で男性と女性の賞が統合されたが、過去の女性の受賞者に(男性のみが受け取っていた)『シルバービーバー(beaver、女性器)』賞に変えましょうかと言っても受け入れられなかった」とのジョークで女性解放運動を小馬鹿にする。二作続けて日本の道徳教育のように先人を敬おうなどの価値観や実践が強制管理されている様を延々見せた後、墓参りの練習と対照的なパナマの人々のお墓での様子に映画は終わる。