
近くの読書中の男性は「三章ぶん」、エレナ(ブルーナ・クッシ)が解釈するに三時間は待たされている尋問のための待合室…と呼ぶのもしっくりこないそこは水も食べ物もない非人間的な場所だ。二人のうち彼女だけが一旦密室から解放される時の女性審査官(ローラ・ゴメス)の「お水をあげて」が「裁量次第」を見せつけ更に恐ろしい。スペイン語を流暢に話すこの審査官の横に根っからのアメリカ人という風体の男性審査官(ベン・テンプル)が加わると描写はより複雑になり、ディエゴ(アルベルト・アンマン)の携帯の着信の振動への「切るよう言わなかったのか」と軽く責めるような目つきを受けた女性審査官の「私が切る」など雄弁だ。
とりわけパートナーとの関係につき、なぜ付き合っているのか、愛しているか否かを曖昧にしておく権利、あるいは考えない権利、また相手に何を言うか言わないかを決める権利というものが人にはあり、少なくとも私はその手綱を常に自分で握っているけれど、これはそれを奪って破壊する権力の話であった。すなわち「言葉にして決めつける」。この威力は凄まじい。エレナはディエゴの両親に多少見られる差別心はレイシズムでなく世代の問題だと述べるが、近しい人へのそうした判断も個人にしかし得ないはずなのだ。
終盤、離れて座るエレナの横へやってきたディエゴが口にする「君にはぼくの気持ちは分からない、帰るところがあるんだから」が、これまで色々な顔を見せて来たこの映画の放つ最後の一打だ。「映画を見る」ような人間はたいてい帰る場所を持っているだろうから。そして権力は仲間のうち少しでもいわば安泰な方を贔屓して仲間割れさせようとたくらむものだから。懐柔されているエレナは案内されたお手洗いで顔を洗って戻ってくるが…宣伝で強調されていた「監督自身の実体験による」がここへ来て激しく蘇り、エンドクレジット後に本人映像でもないかと最後まで見たけれど何もなかった。