
予告編の冒頭の「ベルファストの映画の始まりはどれも…」(舞台自体は別の土地だけど『プロフェッショナル(2024/原題In the Land of Saints and Sinners)』なんてまさにそうだったよね、いい映画だった)は映画そのもののオープニングだったのか、からの、「停戦世代」のニーキャップの伝記物語の始まりは、宗教に依らない者や他にも例えば結婚しない者などはそれらをする者を否定的に捉えてしまうこともあるが、それは選択肢があるから、奪われていないからなのだと教えてくれる。
「どれだけ親しい間柄でも投票先は聞くものじゃない」なんて日本の(うちは違うけれど聞いたことがある)「美徳」とは真逆の、リーアムとプロテスタントのジョージア(ジェシカ・レイノルズ…アイルランドの役者で『デリー・ガールズ』にも出演している)のセックス場面は最高に面白い。私としてはこの映画の要は、弾丸である言葉がメンバー三人が三人ともの大切な人との関係に大きな影響を及ぼしているところだった。ニーシャとリパブリカンの民兵組織の大物らしき父親(マイケル・ファスベンダー)、JJと言語法制定運動のリーダーを務めるケイトリン。JJの「おれはスキーじゃなく音楽がしたいんだ、今は二枚の板がどんどん離れていってる状態だ」とは上手い比喩だが、二枚の板とは彼が思っていた仕事とバンドではなくパートナーとバンドだったというのが切ない。「立場が人を作る」からなのだ。日本語に浸っているのんきな私にはそういう経験はない。
JJが代講に入った際に使う教科書の「少女は雨のなか草を刈る」なんて例文の、あまりに日常からかけ離れていること(イマージョンスクールでなくとも、というかそれであれなのかとは思うけど、教員「あるある」ではある)。そんななかニーキャップが放った弾丸が、音楽の授業で後方の二人がイヤホンで分け合って聞いているのを始め生徒の間に広がっていく様子が楽しい。メンバーは作中幾度も挿入される雄弁な壁画の前で警察(ジョシー・ウォーカー)に「あんたら悪党が何を言っても街(ウエストベルファスト)の人は聞きやしない」と言われるがライブは大盛況。それを受けてのメディアの「ニーキャップは薬物使用や暴力を煽ってる」にはそんな歌どの言語にもあるだろうと思うが、少数派は常にそうした攻撃にさらされるものだ。時にやられつつ面白おかしく抑圧を跳ねのけての終盤やエンディングのステージには、何と言っても本人が本人役の音楽映画って最高だなと思わせられた。