ハルビン


映画は1905年の乙巳保護条約締結に反対し自決する者や独立運動に身を挺する者が多く出たとの文に始まる。これはアン・ジュングン(ヒョンビン)のみならず、「ぼくらの名前は日本の歴史に残らない」と話すキム・サンヒョン(チョ・ウジン)や両班に虐げられ国を呪ってきたことを自嘲するウ・ドクスン(パク・ジョンミン)を始めとする名もなき同志達を描く映画である。ただ一人の女性であるコン夫人(チョン・ヨビン)の存在には、『プロフェッショナル』(2024年アイルランド感想)のケリー・コンドン演じるIRA内のリーダーを思い出した(アイルランドについては韓国以上に知識がないので実際の歴史と比べられないけれど)。

オープニングは豆漢江の氷上のアン・ジュングン。同監督『KCIA 南山の部長たち』(2020年韓国)のキム・ギュピョン(イ・ビョンホン)は閣下に張り付き盗聴したり嘆願したりしたあげく殺害したが、アンは一人彷徨った結果、帝国主義を司る「老いた狼」伊藤博文リリー・フランキー)を殺すことを決意する。そこには尊厳のために殺し殺される戦いのうち人は迷ってしまうということ、その時に進路を示すのが独立に命を捧げた同志達の存在だということが表れている。終わりにこの事件の後で日本の締め付けがより強くなった、36年後に韓国は独立を果たしたとの文が出るが、この映画は終盤チェ・ジェヒョン(ユ・ジェミョン)が口にする新聞記事の冒頭「アン・ジュングンが伊藤博文を銃撃し抹殺した」が後の同志の心を繋ぎ国を導いたと言っている。

(以下あることにつき「ネタバレ」しています)

同志らが爆薬を求めて出向く満州の砂漠もまた、広大な豆漢江と同じく、独立運動において片目と弟を失ったパク・ジョムチョル(チョン・ウソン)、あるいはそのような者達の迷いの比喩と言える。馬賊の頭となり酒に溺れる彼がそこから出ることはもうない。そして振り返ると、「昔はここもおれたちの国だったのに、今や安心して横になれる場所は世界に一坪だってない」と言うウ・ドクスンに対し、拷問を受けた末に密偵となったキム・サンヒョンはあの日々の中、見渡す限り無人のあの場でのみ心安らげたのではないかと思う。

森少佐(パク・フン)は家族も自らの命も顧みず負ければ即自決を望むという「日本の軍人」として登場し、アン・ジュングンに遭遇した後はイ・チャンソプ(イ・ドンウク)が見破ったように「自分より劣っていると思っていた相手に助けられたことを恥じ、その抹殺のみを考える」存在となる。いずれにしても迷いなどない。一方で伊藤博文はアンの名を部下から聞いてもなかなか覚えず朝鮮の「民」をこそおそれるが、それは正しかったというのがこの映画だ。独立運動を描く韓国の映画やドラマは、この後何年も何十年も…という頃の話であっても皆そのことを描いてるのだと思う。それは「運動」が日常的じゃない日本の私達こそが噛み締めなきゃならない。