
映画は壇上の校長目線で始まり壇上の校長目線…でなく中山先生(渋川清彦)の横顔で終わる(から最後に出るように「教頭の人生」なわけだ、そこにいるのは校長ではなく彼自身)。このオープニングのために作中では朝礼の後に校長室で七名のみでの朝会という学校じゃありえないスケジュールなのかと少々不信感を覚えながら見始めたけど面白かった。そもそも冒頭の鷹森校長(石田えり)の滝にも個性があるという話だっていわゆる「校長先生のお話」として揶揄されているわけじゃない。中山先生が子どもに教科書を貸したことを忘れたり自転車で来たことを忘れたりするのは映画のギャグじゃなく彼の個性なんだと思える根拠になる。
学校で管理職を目指すとは生徒と接する立場を下りるということ、(学校では管理職以外は全員「平」なので)「上」の立場になりたいと表明するということだ(その代わり学校を代表して責任を負うし、とりわけ今なら穴埋めでどの教室にでも入る)。センシティブなテーマである。予告に遭遇した時なぜ校長なんかになりたいのかと思ったものだけど、「試験前日に考えることじゃないけど」と娘に向かっていわく「皆を引っ張るんじゃなく後ろについて応援する、そんな校長がいてもいいんじゃないかなと」。確かに色んな校長がいた方がいいからある程度は納得できる。ちなみに登場人物は善悪きっぱり色がつけられているわけではないが、風間杜夫演じる教育長だけは完全な悪というのに教育畑の人は納得するだろう。
最後にはしね、しねと学校に向かう子ども達は大人とは異なるレイヤーに生き、その悪の世界を皆でもって回している。今年公開された『Playground 校庭』(2021年ベルギー)を思い出していたら、中山先生が校庭に足を踏み入れる場面で突如スローモーションになるので少し驚いた。それは他の先生は面倒だからしない、子どもの世界に入って行く行為なわけだが、結局はぐらかされて終わる。この映画においては、学校の中では誰と誰の心も一瞬も触れ合わない(作中最後の石田えりの晴れ晴れした顔!)。そんなところに来ない方が合っている子もそりゃあいるよねという話である。宣伝のようにそれだけ取り出すとそうとも言えない「実は大人や先生の言うことはぜんぶうそなんだ」とは、その後に続けばこそ意味がある。奇妙にさわやかな気持ちで見終わった。