
「別人になりたがってるように見えたから」とリタ(ドリー・デ・レオン)が開いたドアにダン(キース・カプフェラー)は足を踏み入れる。『セイント・フランシス』(2019年アメリカ)監督コンビの新作の主役がおじさん?と見てみたら、オールドスクールな人間だからそういうのは苦手だという彼が演劇を通じて自分の感情を出すこと、他人の感情を想像することを学ぶ話であった。「難しいのは最初だけ、だんだん楽になる」。
ダンと妻シャロン(タラ・マレン)娘デイジー(キャサリン・マレン・カプフェラー)の一家が遭った悲劇の内容が、三人がそのことに触れないようにしていることもあり大変小出しに明かされていく。デイジーは「あんなワンピースじゃ『かわいそうな娘』と思われる」と言っていたけれど(「パワービッチに見えるパンツスーツを買って」と続けていた彼女の証言録取当日の服装の選択が面白い)、彼もまたかわいそうと見られないという理由で演劇の練習に参加する。人にとって場には段階があり変化する。安心を得、感情を出すことを覚え、「別人を演じる」ために他者の気持ちを想像することを学ぶ。ところがその「別人」がロミオとなれば、息子を自殺で失った彼には難しいというわけだ。
「もしも…その後は自分で考えて」とはリタの言葉だが、「自分じゃない誰かになる」顕著な例が「誰かの恋人」である。それには接触もつきものだが、「昔はオーディションでよくキスさせられた、年長の役者はいつも舌を入れてきた」と話すリタが、オーディションで勝ち取ったジュリエット役の練習時に相手役の若い男性に「口がたばこ臭い」「インティマシー・コーディネーターをつけてほしい」「年齢差が大きすぎる」と拒否される。後に監督のレノーラが「彼の言うことにも一理ある」「インティマシー・コーディネーターを雇う余裕はないけど勉強してみた」と新たにカップルを演じるリタとダンに施す、身体接触を安全に行うためのステップは本当のものなんだろうか?
演劇を扱った映画におけるとりわけアイスブレイク的な場面を見るといつも、根っこは教室と繋がっていると思う。本作の冒頭でデイジーが証言するトイレにも行けないような教室はもってのほかで、どちらも安全な場でなければならない。とはいえ社会から閉ざされているべきではなく、この映画では演劇の練習は外からひと部屋おき黒いカーテンを閉め切った奥の空間で行われており、公演も「色んな所で試してみたけど」そこで観客もなしに行われていたのが、教員であるシャロンの手配で学校の体育館で演じられることになり、演劇グループの方も町に開かれていくのがよかった。中をのぞいて笑っていた男の子達だっていつか見に来ればいいのにと思う。