秘顔 ひがん


(以下少々「ネタバレ」しています)

リメイク元である『ヒドゥン・フェイス』(2011年コロンビア・スペイン)と異なりこの映画では「消えた婚約者」であるスヨン(チョ・ヨジョン)がソンジン(パク・サンフン)とミジュ(パク・ジヒョン)を繋げたことが冒頭数分で示される。しかし全然違うという予感を抱かせる面白い要素は、ソンジンに「求められた」ミジュが明らかにやる気でいつつ「やめて」と今時フィクションでも使わないセリフを口にすることだ(映画の倫理として、これがプレイというか演技だと分かる前に鏡からずれた場所で「嫌じゃない」と言わせてフォローしている)。二度目のセックスでの「私ったら」に始まる言葉やポーズにも殆ど冗談のわざとらしさがあり、変な言い方だけどフィクションの中のリアルじゃないと分かる。

『ヒドゥン・フェイス』ではミジュにあたる女性が友人の女性に「とうとう金持ちをつかまえたね」と言われていたけれど、この映画では指揮者であるソンジンも貧しい家の出であり、その地位はスヨンの母親(父でなく母にしているところが「配慮」)である交響楽団長のヒョヨン(パク・ジヨン)次第。「やっぱり飲食店の息子だと言われたくないから店でも肉は焼かない」がパーティでグラスが足りなくなればつい流しに立ち、ヒョヨンに洗い物が似合う、普段はうまくイメージコントロールしていると言われてしまう。この設定により元の映画では「蚊帳の外」感のあった男性を物語に参加させている。前半は「奴隷」(とはミジュ自身の言、実はそれが肝なんだけど)二人による主人への反乱の様相だ。

ミジュいわく「『本当の人生』って他人に幸せと思われる人生ってことでしょう、私もそれを送ってみようかな」。この映画は「弱点」(『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』のフンスが当初言う意味)を持つ三人が自身と「本当の人生」との距離をそれぞれ何とかしようとして権力がめぐりにめぐる話だと言える。鏡を間にしてのやりとりは、権力がある者は相手の話を聞く必要などないということの比喩のようだ。しかし、最後にその「弱点」が閉じ込められ隠されるがそれこそその人物の最高の欲望の実現だったという結末は、リメイクとしてはうまいけれど(起きている事象は女二人の反転という、元の映画と同じことなのだ)元々社会で圧され隠されていることをそんなふうに扱うのにちょっと釈然としなかった。レズビアンが中心の話なのに、作中最もリアルに感じられたのが「おれとセックスしたいわけじゃなかったのか」というシスヘテロ男性の落胆というのも奇妙だった。