年少日記


ドビッシーの「夢」がこんなにも全編に渡って(変奏含め)流れる映画ってない。死んでもいない父親単独の写真がダイニングルームに掲げられた一家の、弟は弾けるが兄は弾けない。うなだれる兄へのピアノの先生の「大人でも難しい、二拍三連と八分を同時に弾くんだから」は違うリズムが共存してこその美しさを語っているようだ。加えて一人で演奏できなければ「二人で一緒に弾こう」と。一方、なんて生ぬるいと父親が新しく連れて来た先生はメトロノームを使ってテンポすら強制する。

(以下「ネタバレ」しています)

ピアノの先生の「あなたはいい先生になるね、叱らないから」を、レッスンを受けていた兄は聞いていたが弟は聞いていなかった、だから兄は先生になったのか…が、映画の語りによりなぜ弟は先生になったのか…となり、そのとき隣の部屋で勉強しながら聞いていたことが判明する終盤の場面が私にとってこの映画の一番の「謎が明かされた」瞬間だった(日記を読んだからかな、とも思うけど)。それにしても、体罰の近くで苦しんだ者こそ体罰を拒否できると信じられるなら、チェン(ロー・ジャンイップ)はいい父親にだってなれるはずなのに、自分ではそう思えなかったのがとても悲しい。

兄と弟が二人して抜け出し、水たまりで遊び親に内緒でゲームを買う一日の輝き。屋上からの「勉強なんてしたくない」をダメ押しに、弟だって全然幸せじゃなかったことが分かる。狭い道に全員を押し込むことは入らなかった者も入った者も傷つける。この世界で自分に何が出来るのか考えたチェンは共通試験前の最後の授業で学生たちに言う、「いつも思ってた、先生がぼくの気持ちに気付いてくれないかって、でもだめだった、ぼくが心を閉ざしていたから」。大人は子どもに因があるとしてはならないから彼が辿り着く最後の答えはこうだ、「君のことを気にかけている、話し相手になる」。シンプルでいい先生映画だと思った。