ブルー・ロード エドナ・オブライエン物語


アイルランド映画祭にて観賞、2024年アイルランド、シネイド・オシェイ監督作品。

映画でよく見る場所が映った後、ウォルター・モズリイ(デンゼル主演で映画化された『青いドレスの女』の作者)が「ブルーカラーのハーバード」ことシティカレッジでエドナ・オブライエンの講義を受けていたと話す。彼女の朗読は素晴らしかった、作品を読んでもらうと新たなことに気付けたと。その後に挿入されるエドナの朗読は確かに迫力満点だ(ちなみに映画冒頭ではガブリエル・バーンによる『カントリー・ガール』も聞ける)。亡くなる直前のインタビューで本人が言うことには書くのが好き、読むのが好き、再読するのが好き、言葉で学ぶのが好き…どれも新鮮に響いた。

エドナが小説冒頭に書いた「ブルーロード」なる言葉に夫は「ありえない」と激怒したという。若い彼女が恋におち退路を断って暮らし始めた「コスモポリタンな教養人」である年上の夫は妻を自分の所有物とみなし、作家になるのも有名になるのも許せず、仲間を使って彼女をメディアで貶め、しまいには金をよこせと首を絞めた。彼が赤で書き込みをしたエドナの日記の写真(「若い女がわがままなのは仕方ない」などと書き加えてある!)を監督が二人の息子に見せると「これは父の字です」。こうしたインタビュー映像において監督の声はもちろんスマホを渡す手まで入っているのが、私には公正性の表われに思われた。

1937年に施行されたアイルランド憲法には、母親は家庭内での義務を怠らないようにとの意の条項がある(2024年の国民投票でも改正案は通過していない)。教会と国とでもって女が男の従属物にされた、1950年代に執筆を始めたエドナの初期の作品はそんな中で書かれたものだ。「(批判や処分につき)怖くありません、関わっているのは全て男性ですから」と彼女も話していたが、後にニューヨークで認められたとのくだりでも評価したのは(ここで出てくるのは)男性ばかり。これも男性ばかりのインタビュアーに女も男と同じことがやれると証明しましたねと問われて返すことには「いえ、作家になると色々なものを失います、特に男性は自分が書かれるのを恐れて去ります」。この映画でも有名人との一夜の数々があっさり語られるのはそれへの抵抗に思われた。

しかし私がこのドキュメンタリーに最もいわば期待していたのは…フェミニストであることとシスヘテロ男性と(セックスするだけでなく)つきあうことは相反しているというか奇妙だと思うことがある(システムの中でどう生きるかという話)。それにつきエドナの考えを知りたく思っていたんだけど、答えはなかった。若い頃のインタビューではいわく「男は一晩だけど女は3ヶ月は付き合う、そして、弱みを晒してしまうから言いたくないけど女は恋をしてしまう」。ただ、「私には彼が必要なのだ」と語る『恋づくし』も出てきたけど、あれは恋する自分を掴んでいく話であって彼の話じゃない、彼と私の話ですらないからね。私は恋はしないけど、要するに自分をよく見て「ブルーロード」を誰にも譲らないことが大事なんだと思った。