フォー・マザーズ


アイルランド映画祭にて観賞。2024年アイルランド、レインボー・リール東京で見た『マッド・メアリー』(2016年アイルランド)も良かったダレン・ソーントン脚本監督、コリン・ソーントン共同脚本。

ダブリンに暮らす作家のエドワード(ジェームズ・マクアードル)が毎日欠かさず遅れず母アルマ(フィオヌラ・フラナガン)を連れて行く教会で、同じく介護中の仲間がスマホの動画に「懐かしい…」と呟く場面に、これは流布されやすいゲイの表象につきもののプライドフェスティバルに参加しない、できない側の話なんだと分かる。世間から見えない方が表として描かれる。自分の著書のアメリカツアーに行くこともままならないエドワードの家に仲間がそれぞれの母親を預けに来、一人のゲイと四人の母親の数日間が始まる。カムアウトや恋人の話が母親達の側から語られるのも表裏の逆転だ。

エドワードは「食べさせて寝かせるだけだ」と高齢の四人をまとめてあしらおうとするが、ゲイがそれぞれであるように母親達もそれぞれで、朝にシリアルを食べたい者からスコーンを食べたい者、そもそも一緒に食卓につきたくない者もいる。アルマも疎ましさを訴えるが、いつどうなるか分からない彼女らを放り出すことには賛同しない。それぞれでも仲間は仲間、仲間とは互いが危機に陥らないよう見張り合う間柄のことだ。

外で働き遊び子育てなどしなかった父親に認められることなく、それでも介護を引き受けたのに葬儀では妻子持ちの兄の方が長々と弔辞を読んだ、そんなエドワードと母親達にはこれまで表に出ることがなかったという共通点があると分かってくる。この映画は動画をシンプルなやり方ながら上手く使っており、当初は手の届かない世界だったのが、母親達がエドワードと元恋人のラフに6時間運転させて人気の霊能配信者の家へ出掛け(アルマ一人ならそんなことは要求できなかったであろう)、同世代の女性のキッチンでぶつかり合うのを皮切りに、SNSの向こうとこちら、表と裏が繋がり始める。物語が終わった後、あの彼女も画面越しだけの恋人と会っただろうか。

脳卒中の後遺症で声を失いコンピュータで発話するアルマの姿に、『わたしの心のなか』(2024年アメリカ)の脳性麻痺の少女メロディの、声を持たずとも頭の中にはあまりに多くのことが渦巻いているという訴えを思い出した。喋らなくても動かなくても頭の中もそうとは限らない。終盤夜中に息子をベッドに呼んで座らせての「人生を生きなさい」には、オープニングの、おそらく意図的に離れた場所のように撮られた隣室でエドワードがインタビューに答える練習をしている声からして母親には感じるところあったんじゃないかと思った。あの響きには彼の辛さが溢れていたから。