
特別上映にて観賞、2016年アイルランド、ジョン・バトラー脚本監督作品。
自分をさらけ出せと書かせた作文を皆の前で読ませるなんてと思ったら、新任の国語教師シェリー(アンドリュー・スコット)の目的はネッド(フィオン・オシェイ)がいつものように歌詞、今回はMy Perfect Cousinをパクったのを暴いた上でそれを笑うクラスに他人事じゃない、皆の言葉だって本当に自分の言葉なのかと訴えるためなのだった(他の生徒はどんな作文を書いたんだろう)。「ゲイを表す」というあの音だって、その根はどこにあるのかという話である。
ネッドが「ぼくの知ってる曲を先生が知ってるはずがない」と思うのは16歳にとっては致し方なく全世界である寄宿制男子高校に自分しかゲイがいないと思っているのと同義だが、彼より長く生きているシェリーはそうでないと知っている。彼の授業は人々が理不尽な恐怖に晒されなくてすむ方向に世界を進めているけれど、自身のこととなると足を踏み出せない場合もある。映画の体であるネッドの作文で強調されるのは自分がいかに酷いこと(アウティング)をしてしまったかということだが、最後に彼は人がそんなことをするのは恐怖からだと言う。それは周囲の大人達の言動を思い起こさせる。
シェリーに探し当てられた列車内の最後の場面でコナー(ニコラス・ガリツィン)の瞳に涙が溜まっていたのは、自分を偽るなと諭していた先生がぼくらがゲイであることにはもう触れないでおこうと話を片づけたからだろう。「拳で黙らせてきたけど次々現れてできなくなった(との表現が的確で恐ろしい)、逃げるのが嫌になった」コナーにとって、先生や、初めて話した日に「きみはゲイなの」と聞いても応えてくれない当初のネッドの態度は寂しく感じられたに違いない。だから親友がシリウス号に自分を探しに来た際にはまず、「(ぼくがゲイだと)ずっと知ってたの」と口から出るのである。
ネッドの初登校時に流れるスカアレンジの偶数拍のテイク・ファイブは、なんとか納まっていよう、でも負けないよう振る舞おうとする彼の姿に重なって聞こえた。Dのコードしか知らないところにシェリーが指をちょっと上げるよう教えるとCのコードが出現し、曲が生まれる。一つより二つ、もっとあるならもっとあればこそ世界が存在し得る。応援練習を強制されなくても、「間違った意見に立ち向かう」を体現しているラグビー部ならばそれはネッドや私にとっても「ぼくたちのチーム(Netflix配信時の邦題)」なのであり、揃いのユニフォームだって着る。その一体のありようは差別を認めないのは差別だという言い分への反論に似ている。