ディーヴァ・フトゥーラ


イタリア映画祭にて観賞、2024年ジュリア・ルイーズ・スタイガーウォルト監督作品。

リッカルド・スキッキ少年(長じてピエトロ・カステッリット)が父親から贈られた望遠鏡で覗き「家の中と外出する時とじゃ全然違う」と感動する女性達の姿は、よそゆきじゃない「自然」なあり方の比喩とも取れる(今見ると、女性達のそうした様子はずいぶん奥ゆかしいものに感じられる)。男子の「マッチョさ」を嫌悪し女の子と育った彼は、女性の「隠さない」姿を世に見せようとエージェンシー「ディーヴァ・フトゥーラ」を立ち上げポルノ製作を始める。しかし隠したままでいてほしいという人々の願望ゆえにポルノは存在するのであり、その「革命」には出発点からして大きな矛盾と障壁があった。

この映画に描かれているのはその矛盾と障壁、とりわけ「隠す」のをやめたくない、やめてほしくないという願望の害悪だ。「一度ポルノに出たら一生ポルノ女優」とテレビ番組で訴えるエヴァの「あなた方もポルノを隠しているでしょう」は彼女にはそれなのになぜ、という意味だが人々にはそれだからこそ、となる。登場人物がクレジットごとに独白する軽快な冒頭のモアナのパートの「女優を目指してオーディションを受けに行くと権力者とセックスさせられた、皆してきた、皆っていうのは本当に皆だから!」「その点リッカルドの元での仕事はセクハラ皆無、絡む相手は若くて美形で検査済みの男の子ばかり」というのも、リッカルドの経営する店での行為のみが組織的売春とみなされ逮捕されるのも全てそうだ。

リッカルドは面接に若い女の子が来ればポルノに出るのは大ごとだから再考するようにと帰し、家のない女性が来れば事務所に住まわせる。ディーヴァ・フトゥーラは自由を求める女性達のホームになる。しかし一歩外に出ればここでの経歴ゆえ差別され、リッカルド自身も外を恐れてかシェルターに拘泥するようになる。「助けてくれる」男性が一人ばかりじゃダメなんだということと、映画の元になった本『ママに内緒で秘書をやってます』を後に書くデボラ(バルバラ・ロンキ)が言うように「(ポルノを取り巻く状況が今のようになったことにつき)私達が助長してきたのでは?」ということを思って悲しくなった。今の時代に見ると、シスヘテロ男性向けのポルノ限定だものとの思いが最初から拭えないし(映画を見ていてよく思うことに、革命にも「順番」があるわけだ)。