
イタリア映画祭にて観賞、2024年マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ監督作品。
同映画祭で前日見た『ピンクのパンツを履いた少年』(感想)では、自宅でピアノを弾く主人公が音階を早々に切り上げ母親に「なぜやらないの?」と言われていたが(「この曲は簡単だから」「私たちの曲が簡単だって?笑」)、こちらでは2階で音階の練習をする主人公が階下の自室の母親に呼びつけられ「嫌がらせ?もう飽きたから曲を弾いて」と怒鳴られる。こんな場面が続くなんて珍しいから面白かった。更にこの映画では、頭上から降ってくるピアノの音は母親にとってある意味を持つ。
冒頭、マリア(ヴァレンティーナ・ベッレ)はピアニストである義理の姉ソニア(ソニア・ベルガマスコ)のコンサートのため身支度をするが、妊娠でむくんだ体のドレス姿に「だらしない」「靴も全部きつい」と部屋から出られずにいる。出産を産婦人科医の夫オズワルド(パオロ・ピエロボン)には任せず立ち会わせもしないのに、内と外とを強く意識している女性だと思っていたら、これは隠す・隠さないについての映画であった。顔に痣を持って生まれた娘レベッカを「視線は人を殺すから」と外に出さないのもそれによる。
レベッカは小学校に通い始めるも、痣のことで傷つけられはしない。隣の席になったルチアは遠慮なく質問し納得すると自分の頬も赤く塗る。これは二人の少女の一方は何でも知っており何でも口にする、一方は何も知らされないが何もかも知ってしまうという話である。疎まれても避けられても母マリアを慕う描写に違和感を覚えていたら、何かしらの力で母娘は繋がっており、映画はいわば呪われた家から母のできなかった脱出を娘が叶えるのに終わる。しかし、この映画はベロッキオが企画し脚本を書いたそうだけど、彼の映画は大抵好きだけど、このような類の複雑さは私には響かなくなってきた。音楽学校で他の学生達に僻みから痣をからかわれた上に「暴行はされなかった」と校長が言ってのける程の性被害を受けるくだりの顛末も酷い。