
シネマブルースタジオの特別上映にて観賞。1987年ベルギー・フランス、パレスチナのミシェル・クレイフィ脚本監督作品。イスラエル軍により戒厳令の敷かれたナザレ近くの村で、村長の息子の結婚式が行われる。地雷とは何であるかが一目で分かる場面が衝撃的だった。
イスラエル軍の司令官いわく「向こうがこちらの条件をのむことが重要なのだ」。彼は男性部下の助言を受け、村長が嘆願した夜間外出禁止令の一時解除を認める代わりに自分達を結婚式に招待させる。後日、今日は外出禁止を一時間早めると触れ回る軍の車は一晩の解除の引き換えかつこちら次第で全てどうにでもなるという脅しの意の表れだろうか。司令官のオフィスには女性部下もいるが村長を案内した後は喋らず無言の顔が映されるが心は読めない。式当日は(とっても美味しそうな料理を前に司令官は「食べ物はアレッポが最高だ」)お酒と熱気にあてられ倒れてしまい村の女性達に運ばれる。男性部下が心配して…互いに憎からず思っている同僚というところだろうか…後を追うと女性達に阻まれる。ああいう時もザガリートをやるんだと初めて知った、いや、あのニュアンスは私には分からなかった。
「女性は強く美しい」という訴えは女性からすれば迷惑だという方向に進んでくれた今ではこの映画の女性描写は制作された時代を踏まえても私には大変古く感じられ、見るのが少々辛かった。「花嫁」が全裸で女達に支度される場面は、上半身しか映されないがやはり裸の「花婿」もそうだが正気を失わされているようだった(そうでもしないと結婚などできない)。対して花婿のティーンエイジャーであろう妹が自分の裸を鏡に映して満足げにする場面は自分で自分を捉えているのでよく取れば対比だと言える。呼びに来た弟に村で一番きれいなのは誰?と聞く(「今日は花嫁さんだけどいつもはお姉ちゃん」とのこなれすぎの返し笑)姿に、ここではやることがないからそんなことにしか興味が向かないのかと思ってしまった。彼女の恋人らしき青年が仲間と司令官暗殺を企てるのにも、『ノー・アザー・ランド』(2024)で監督の一人バーセル・アドラーがイスラエル軍の所業を子どもの頃から撮ってきた、この状況ではそれしかやることがないと話していたのを思い出した。私と同世代、もう少し上?の少女グループは笑っているところに村長(花婿の妹には祖父)が来ると走って逃げるが、逃げ続けられたものだろうかとも考えた。
「床入りと同時に正餐が始まる」ので花嫁と花婿は寝室へ移動させられる。服を脱げ、たらいを持ってこいとの命令の他には会話なしで足を洗わされている時に頭から愛撫される場面には作中一番ぞっとした。このたらい云々は花婿が教えられた慣例に倣っているだけなんだろう、それを思うと余計おそろしい。結婚ひいては家というものに重圧を感じている花婿は「花嫁の血がついたシーツを見ないと客は帰らない」のに行為に至ることができない。たまに見るこの状況には複雑な力関係を感じるが、二人は花嫁が自分で自分の性器を掘って血を出すことでその場をしのぐ…ってそんなことできるのかという疑問(でも、もしかしたらそうしてきた女性達がいるのかもしれない)とそういう犠牲的な展開は見たくないという落胆を覚えた。40年も経ての映画だけど今年は『Four Daughters フォー・ドーターズ』(2023、チュニジアのカウサル・ビン・ハニーヤ監督作)で「花嫁が花婿を殴った血を見せてその場をしのぐ」場面を見てしまったしね(これも笑える場面などでは全然ない、この映画は男達から自分と母を守るために暴力を身に付けた「花嫁」がそれを娘達にもふるってしまったという話なんだから)。