終わりの鳥


地球上の「苦しみ」を絶えず聞かされている死神の鳥(he、アリンゼ・ケニ)と殆ど家にいないママの足音に耳をそばだててしまう病身のチューズデー(ローラ・ペティクルー)、いずれもその相手とまともなコミュニケーションが取れず飢えている二者が仲良くなる。きっかけはケアするばかりだった彼がケアを受けた(と感じた)こと、楽しいジョークと気持ちいい入浴に「殺さないで」との願いをつい聞いてしまう。彼が聞くチューズデーの声が息を吐いて、吸って、であることから彼女にとって生きるのは苦しみであり、延命を願ったのはママのためだと分かってくる。

目当てのジュリア・ルイス=ドレイファス演じる母親ゾラが冒頭の骨董屋で、画面の中心に鎮座する睾丸の向きを変えようとして触らないでと注意されるという、ある意味彼女らしい(加えて比喩とも取れる)シーンに想像していた内容と違うようだと思ったら、その通り話は楽しく展開していく。チューズデーと彼が友達になるということはゾラも否応なしに死とお近づきになるということだ。死を認めたくない彼女は彼を追いかけ回して頭突きした挙句に叩きのめして焼いて食べてしまう、しかし…。思いがいっぱいでも思うように動けない娘と抵抗して暴走する母親、愛らしい動作の鳥がどれも活きている。八百屋お七じゃないけれど、電気のスイッチをオンオフしての母と娘の攻防のセンスのいいこと。

映画の最初に鳥の彼が向かうのは、彼は私を刺すつもりじゃなかったに違いない、私は悪くない、それなのになぜ死ななければ?という女性の元である。彼が赴く数々の現場によって死の不条理や平等性のようなものが、その不在によって「看護師8」(リア・ハーベイ)の言うようにアポカリプスとは「殺してくれ」との苦痛に満ちた死の無い世界のことだと訴えられる。確かにそうかもしれないが、友達が死ななかったからいい日だったと歌うIt Was A Good Dayをこの物語のテーマにしていいものだろうかと思ったけれど、それを娘からの待ち受けにしていながら受話を拒否する序盤のゾラの姿を振り返って、死とは本当に個人的なもので、その前に何と何が思いがけず繋がるか分からないと考えた。