アラン・ギロディ監督特集にて最新二作を続けて観賞。

『湖の見知らぬ男』(2013)では主人公フランク(ピエール・ドゥラドンシャン)が自分の家へ行こうと意中の相手を誘うのが心に残ったものだが、『ノーバディーズ・ヒーロー』(2020)の主人公メデリック(ジャン=シャルル・クリシェ)も道で出会った娼婦イザドラ(ノエミ・ルヴォウスキー)に同じことを言う。それは愛を欲する気持ちから来るのであって、メデリックは彼とセックスをしたがるフローレンス(ドリア・ティリエ)には欲望を感じないため自宅に帰るよう言う。
更にメデリックに惚れているセリム(イリエス・カドリ)が言うことには「やれなくても家には泊まれるだろ」。振り返ると、共用部で寝ていたところを起こして部屋に連れて行こうとすると嫌がったのも朝に出て行くのを拒否したのも「どうせ」という気持ちからかなと思う。そして道・共用部・ドア・室内という要素により、この映画にも『湖の見知らぬ男』の湖や森のような閉ざされていながら放たれた匂いが満ちている。

『ミゼリコルディア』(2023)では主人公ジェレミー(フェリックス・キシル)の寝床が夫を亡くしたマルティーヌ(カトリーヌ・フロ!)が今は一人住む家に早々にしつらえられる。これは慕っていた故人の服を身に付けその息子のベッドに寝る彼が村の人々から様々な形の欲望を向けられる話だが、ラストシーンに至り、マルティーヌからすると家に入れた相手を自分のベッドに入れるまでの物語だったと分かる。「(体をくっつけるのは)まだ早い」との最後のセリフから、進みはのろくとも想定されていたんだと思う。
殺人を疑われたジェレミーを救うため彼を愛する神父が欲望をアリバイにするくだりには、「欲望」の描写がまた一歩進んだと思わされた。更には欲望をアリバイに利用したことを利用して自身の欲望をいわば表面的に満たす(…というシーンのみ作中唯一勃起した性器が映るんだから面白い)。
『ノーバディーズ・ヒーロー』冒頭の会話には、『ANORA アノーラ』(2024年ショーン・ベイカー)についてTLで知って読んだ「本名の方がいいと言うのはケチな客の常套手段」という批評にそうだよな!と笑ってしまったのを思い出した。名前についての会話がなされるわけではなく、メデリックが女を買うのはかっこ悪いから嫌だけど君と寝たいと声を掛けてからのやりとりや展開が面白かったので。「ただで寝る相手もいれば金を取る相手もいる」「好色だから娼婦をやっている」といった大方ミソジニーに直結してしまう事象が、この世界では何があり得るかを考えることで実に真摯に表されている。自分で責任を取るという精神にあふれた作家だなと思った。