教皇選挙


首席枢機卿のトマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)はコンクラーベにあたり「亡き教皇の職は神に与えられたもの」とそれまでの描写からしてそんなわけないだろうと思われる内容をつまらないと切り上げ、「確信ではなく疑念を」と映画のクライマックスに聞くような説教をするが、これはそここそが出発点だという話、現実の説教の反映ならそれより先に進まねばという話である。対する終盤の、皆の前ではなく後ろから思わず上がった声からして、そんなこと言って戦争してるじゃないかという批判にも私には受け取れた。

留置場にも見える小部屋で起こされるベニテス枢機卿(カルロス・ディエス)と聖マルタの家の責任者として食堂に立つシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)のカットが続く時、二者は水脈あるいは根のようなもので繋がっていると感じる。ベニテスは食前の祈りで、他の者はしない、飢えている者への思いや食事の支度をしてくれたシスター達への感謝を示す。例えばアデイエミ枢機卿(ルシアン・ムサマティ)の言う「万人」とは枢機卿のことだがベニテスにとってはまさに万人のことだからだ。

絶え間ないひそひそ声が何を言っているのか私には全く分からないが、ローレンス達の会話からそれに類するものだろうと思う。ひそひそしないのは「教皇ではなく神に仕えている」アグネスとベニテスの二者で、「目に見えない存在」である前者が飼っている籠の中の鳥の声が風穴の外にうたう鳥を呼んだように私には見えた。作中最初のひそひそはバスに乗ってやって来るシスター達のものだが、最後には彼女達の数人は楽しげに、明朗にお喋りしながら聖マルタの家を後にする。ローレンスがそれを外からの風と受け止め映画は終わる。

まともな奴なら選ばれたがるもんかと言っていたベリーニ枢機卿スタンリー・トゥッチ)の「誰だって教皇になった時の名前を考えてる」には有名人になった時のサインを考える子どもかよと笑ってしまったけれど、要するに彼らはそういう恵まれた立場なんである。タバコの吸い殻は他人が片付けると疑わない者、野心を抱くことができる者。アデイエミの嘆きも「目に見えない存在」からしたら知らねえしって感じである。これは「そうでない者」にその世界を壊される話だが、結局それを成し得るのが「純粋(新教皇の名)」であるというのには複雑な気持ちを覚えた。

しかし随所に謎の残る映画である。「常に八手先を読む」前教皇は死期を前にコンクラーベ周辺のどこまでを読んでいたのか、新教皇となる彼を枢機卿の多数が支持したのは風穴を開けた神のせいなのか何なのか。死者や神の意思が介在しているのかもと思わされる映画が私は少々苦手だなと気付いた。