
冒頭ジュヨン(パク・スイン)の男友達が彼女を通じて差出人の名のないラブレターをイェジ(イ・ユミ)に渡すのは、「女」に愛を告白するのは「男」に決まっているという私含む異性愛者の傲慢であり、この友人関係はどうなるのかと見ていたら、彼は不自然にも映画から退場し、少女達を圧し餌食にするあらゆる類の悪が、よりによって母が「世界は変えられなくても自分を守ってほしい」と習わせているテコンドーというスポーツの場における学校でのトップ、コーチのミヌ(キム・ヒョンモク)に集約されていく。これが私には映画の瑕疵に思われてしまった。
気になる子と一つ屋根の下どころか一つ部屋に暮らすことに…という子どもの頃に読んだ少女漫画のような型ながら、女と女の話はあまり見たことがないからいいなと思った。そんな中でイェジの「おばさん」、何があっても面倒を見ると誓う保護者の元でのきらめく時間に象徴される素晴らしきものと同時に世界には強者による暴力が満ちているというのもリアルだと思った。教師の体罰に関するニュースが何度も流れるのは、あの頃から犯罪として認識されるようになったということだろうか。時は流れて現在は…という、とりわけ今を生きて知る韓国の人達に向けてのメッセージかなと思う。
しかし舞台が1999年だとはいえ、女を愛する女、二人が二人、二世代に渡り「罪を被って」刑務所に入る話であるのは、弱者が理不尽な仕打ちを受けるという強固な現実を訴えたいようにも思われず引っ掛かってしまった。親友ソンヒ(シン・ギファン)いわくの「何も変わるわけない、学校も警察も家も」という環境の中、最も弱い存在である少女達が団結して悪の象徴=コーチを拒むという展開も、冒頭ジュヨンが振るわれる、意思に反して食べもの飲みものを突っ込まれるという恐ろしい暴力を振り返ると、作中少女達だけが進化するというのはバランスが悪いように感じられた。