十八才/眠れぬ夜


『ケナは韓国が嫌いで』の前に、特集上映「映画監督チャン・ゴンジェ 時の記憶と物語の狭間で」にて長編デビュー作と第二作を続けて観賞。この二本立ては面白かった。

『十八才』(2009)でテフン(ソ・ジュニョン)が出前の後片付けをしたゴミ袋を手にエレベーターに乗るとアジョッシ(仕事中のおじさん)と呼び掛けられる。そういうことをしている人は学生ではないということだ。また後に起こした事故の被害者との会話から分かるように、学生といっても高校生と大学生では違う。ガールフレンドと旅行に行ったことがばれ「大学生になるまで会わない」と念書を書かされる(筆致が出る演出がよい)のに始まるこの物語には、邦題通り(原題直訳は「つむじ風」)韓国の十八歳そのものが描かれている。終盤家まで呼びに来た教師に体罰を振るわれ学校から柵を越えて逃げ出すと、世界は色を失う。管理から外れた場所には何者も存在しないとされている。

『眠れぬ夜』(2012)でヒョンス(キム・スヒョン)の「模範解答だった」が離婚した後輩は、「工事の音がうるさいと、外の工事の人と喧嘩すべきなのに中でおれたちが喧嘩してしまう」と話す。これはそれに抗う夫婦の物語である。自転車に乗る、アイスを食べる、歯を磨き体を洗う、常に並んで同じことをしていても、工事の音がじゃまをする。男には日曜日でも一時間半掛けて通勤し無償で働くようにとの社長の命、女には早く子を産めという母親からの圧、男女で違いがあり、そのことに互いに気付いているから二人は怖い夢を見る。

(ちなみに冒頭から「普通の」肉体を晒す男に対し、「ヨガのインストラクターをしているから体型を崩したくなくて産まないの?」と母親に言われる女の方は細身の体型である(公園で見る夫婦もそういう組み合わせである)のにも男女の受ける圧の差が表現されているのだろうか?女の役者は痩せている人が多いから、という理由でも同じことだ。そして男には兵役がある、今日の二作は軍隊に行く前の男と軍隊に行った後の男の話だと思いながら見た)

私にはいずれも「愛し合う男女」が二人きりではいられず外からの力に圧される話だったが、『十八才』などミジョン(イ・ミンジ)の父親の、妻とのエピソードによくよく表れている女を物としか思っていない家父長制の横暴に始まり韓国の学生の何たるかが主題であるのにも関わらず、端的に言って政治色が全く感じられない。『眠れぬ夜』における圧が「工事をしている人」とたとえられている(との解釈は私の勝手だが)のにもそれが表れている。『十八才』ではテフンが禁煙と書かれた建物内でタバコを吸うのが最大の抵抗に見えるが、相手は社会というより世間に感じられ、それは私が小説『韓国が嫌いで』(2015、チャン・ガンミョン)に覚えたものに似ている。

最後に一つ、ジュヒ(キム・ジュリョン)の実家での「キムチ持って帰るね、なくなっちゃったから」とは、韓国関連の本でも読んだことだが母親はキムジャンに参加している、あるいは自分でキムチを漬けているが娘はしていない、しかし母親のキムチが好きで食べているということであり、そういういわばいいとこ取りは自分もしているなと思った(そして市販のキムチを買うようになれば多分、母親の味を徐々に忘れてしまう、忘れてしまえるのだ)。