デュオ 1/2のピアニスト


映画において、例えばバレエダンサーが痛めた体で踊る苦痛を見る機会に比べて音楽家が痛めた体で演奏する苦痛を見る機会は少ない。クレール・ヴァロア(カミーユ・ラザ)が発症した手で演奏する時、幾度も挿入されるピアノのハンマーの衝撃の映像が、私達に彼女の耐え難いであろう痛みと共にピアノはアタックの楽器だと伝えてくれる。これが面白かった。

ピアノはアタックが命だからあのような病気になれば演奏は無理だろう…と思っていると双子のクレールとジャンヌ(メラニー・ロベール)は医者の教えなどから関節に負担のかからないやり方を編み出す。愚かにもびっくりしてしまうが実話である。これは「『健康』でない」人が芸術への参加を拒まれているのを打破する話だと言える。尤も映画の終わりに出るように「世界で唯一無二」、真似できるものではないが。

唯一無二なのはタッチに加えて姉妹で音を分担するという演奏法だ。この要素の描き方には、実話の物語への変換の難しさのようなものを感じてしまった。映画は双子といえども違う人間だという描写に始まり、愛し合いながらも常に比べられ「怪物」扱いされてきた二人が一番になるための努力じゃなく好きなことをするための努力に辿り着く、そこで決め手となるのが「双子であること」だったという物語を描くが、その過程はそれこそクリシェの積み重ねのように見えてしまった。人の境界とは何だろうと思わせられる現象に比べたら見がいがない。

見る目も何もない上にくそ野郎のレナード先生(オーガストウィトゲンシュタイン)に「上のレベルの人は私の、そうでない人は素晴らしきフィッシャー先生のところへ」と紹介されるフィッシャー先生(エリサ・ダウティー)の、未知の演奏法を聞いての第一声が「理解したい」、練習時には二人の間に身をおいてまず「感じる」というのがよい。うまくは描かれていなかったけれど作中一番のキャラクターは彼女だろう。