
イスラーム映画祭にて観賞。2014年チュニジア=フランス=UAE=カナダ、カウサル・ビン・ハニーヤ監督作品。
終盤赤い服の女性がはっきりと「私の胸を触ってきた警察官は切り裂き男と同類だ」と口にするが、「切り裂き男」とは「チュニジアの男」のことである。監督が調査を始めるカフェで切り裂きはイスラーム的行為だ、いやそうじゃないと全くの人ごととして意見を言い合う二人など「まし」な方で、町の男達は女は切られて当然とカメラに向かって主張する(具体的な内容は今の日本で言われていることと全く同じなので書くまでもないから書かない)。監督が切り裂き男を題材に映画を撮るとオーディションを開けば、集まった男達が我こそは切り裂き男と女への憎悪をまくしたてる…というモキュメンタリーならではの面白さ!
そこへ姿を現すのが、独裁政権下の2003年事件発生当時、実際に逮捕、投獄されていたジャラール演じる「ジャラール」。典型的でありながら個性的な男だと言える。この映画に登場する人の多くは目に涙を溜めているが、彼が一番涙を湛えている。真犯人であろうとなかろうと「切り裂き男」こそここから逃げたく願っているという、ここにチュニジア社会の歪みが表れているのかなと考えた。移住をしたがっていた、したがっているとの話には、どこへ行きたく思っているのか知らないけれど、難民映画祭で見た『孤立からつながりへ ローズマリーの流儀』(2020)で、確かイランから夫婦で来た男性の方が「オーストラリアの女性には人権がある」ことに戸惑っていたのを思い出した。
ポスターの絵は何なのだろうと思っていたら、切り裂き男を体験するというゲームのイラストであった。製作者のマルワーンの「母親を泣かせるくらいならこのゲームで鬱憤を晴らしてほしい」とは日本でこねられている理屈と同じ。こんな具合に、モキュメンタリーであろうとこの映画の全ての要素は真実だと私達には分かる。彼が「宗教的に大丈夫か確認しに」訪ねた先のイマームが「頭を覆っている女性を切りつけると減点というのは素晴らしい」と興奮して喋りはじめる辺りから映画はコメディの様相も帯びる(そうでないとやっていられないとも言える)。しかしジャラールと彼を崇拝するマルワーンが開いたゲームショップに女性が「ここは児童保護の観点で閉鎖される、先に言っておく」と乗り込んでくる場面だけは全く可笑しみを感じられなかった。「今から」の世代には繋げたくないから。10年後の今、チュニジアの男はどちらへ進んでいるんだろう。