
マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルのオンライン上映にて観賞。2024年フランス・ポーランド、ソニア・クロンルンド監督作品。
「二十歳の頃から男に騙されてばかりだった、マリアンヌ達の話を聞いて会わなくちゃと思った、似た者同士だから」と監督自身が語り始めるオープニング。彼女は女達にある同じ男とのことを、パリのあちこち、いわば現場を歩きながら聞いて回る。男はある時はブラジル人の医師、ある時はアルゼンチン人のエンジニア、ある時はブラジルの名家出身、嘘をついて同時に大勢と付き合い妊娠もさせた。この映画の目的は一つ、女達を騙した男の告発である。こういう男は他にもいるであろうこと、今はこの男を告発することが女達の総意であることが次第に伝わってくる。監督の足取りであるカメラはそれぞれの女を皮切りに互いの存在を知った彼女達の繋がり、男の故郷、そして現在の住まいへと迫る。
知人の弁護士の「肖像権で訴えられるかもしれないけど女性への注意喚起になる」の後の「(訴えられるなら)見せない」を経てそら、ごらんとばかりに写真や動画に残された男の顔をがんがん映し始めた時点で、監督の言う「映画監督ならではのやり方」で目的を果たしたことになるけれど、映画はそこで終わらない。偽のドキュメンタリーへの出演を依頼し呼び出し撮影する。騙して被写体とし発表するという最もやってはいけないことをあえてやり、それほどなのだと言っている。話がまとまる場面を無言の監督のカットで終わらせているのが、映像作家としての逡巡、すなわちどれほどやってはいけないことなのかを表している。撮影当日の彼女の、笑いを堪えているかの様子や目を合わせない様子などには「分かるし、分からない」妙がある。
映画の雰囲気は全編通じて明るい。監督は女達と昼間のパリで会い、アシスタントと日の当たる部屋の壁に映画で見るような標的調査図を作って話し合う。被害者の数名は役者が演じている旨の文章と「登場人物名と演者」のクレジットで被害者演者双方の尊厳が守られる。調査及び告発の過程に参加する人々は友人を通じて知り合った探偵以外みな女性で(この、一人だけの「普通」の男性の存在も効いている。「よく言われるんだ、ジョン・ウェインに似てるって」)堂々と登場し、かつ被害者についての監督の言葉を借りれば「一様ではない」のがよい。性転換手術をした被害者の「あいつは私のそういう事情に一切興味を示さなかった、目的さえ果たせれば相手が何でもいい」の文脈、女性宅での窃盗容疑でかつて彼を逮捕したという二人の「フェミニストとしてね!」の誇らしそうに弾ける顔が心に残った。