メーデー 彼女たちの戦争


「未体験ゾーンの映画たち2025」にて観賞。2021年アメリカ、カレン・シノーレ監督作品。

マーシャ(ミア・ゴス)のアナ(グレイス・バン・パタン)への肉体的な接触には性的な、しかし彼女を対象としているというより同化しているような、あまり無い感じを受けたんだけど、あの世界はアナが作っているんだからそりゃそうである。マーシャの発する言葉の全てはアナが、いや私たち女みなが知っていることに他ならない。女は苦しい格好を取り続けることができる、女は存在を消すことが得意、最底辺にいるんでしょう、それなら飛び込んでしまった方がまし。火と水、上と下、この映画には概念を苦し紛れに掻き回すイメージがある。

夢と分かっている夢の中で、自分を暴行した男を、銃という武器と仲間たち、それから「暗闇でも見える」という自分の得意技でもって追い詰めやっつける。それは何になるのだろうか、私のことでない限り私がそれを判断する権利はないのだろうかと考えていると、アナは現実に戻ることを強く選ぶのだった、「『キッチン』に戻るの?」に「やるべきことは分かってる」と返して。映画は彼女が親友ディミトリ(テオドール・ペルラン)のキーボードに合わせて堂々と歌い始めようとするのに終わるが、あの後どうするだろう?私は連帯と告発と見たけれど。

マーシャいわく「だんだん若くなってくる」、すなわち終わらない戦争に駆り出されている男たちを『恋はみずいろ』で踊らせる一幕は、そのあり得なさがアナのいわば憂さ晴らしのように映り切なくなるも心掴まれた。害悪である男たちを殺すのに「女は見捨てられないから」と救助を求めておびき寄せるというのも、何とも矛盾しているが実感としては「分かる」。しかしここ数年とりわけ増えた時間ものの映画やドラマのようにクライマックスとして置かれたアナの帰還のくだりには、このストーリーで盛り上がるべきはそこじゃないだろうと違和感を覚えてしまった。