東京フィルメックスにて観賞。2024年インド・フランス・アメリカ・ノルウェー、シュチ・タラティ脚本監督作品。
男女で勉学の場が分かれていた、女子に機会はなかったと言う母のアニラ(カニ・クスルティ)の時代から娘のミラ(プリーティ・パニグラヒ)が監督生になれる時代に進んでも女の子には常に新たな辛苦が伴うという話で、ここでは学校、家、山のうち学校が一番怖いんだから本当に怖い。女と同じ場にいるとなると男子生徒は集団でミラを笑ったり無視したり追いかけたり、「告白」を断れば露骨に不機嫌になったり、スカートの中を筆記具を落として覗いたり階段の下から写真を撮ったり、シスヘテロ男性用のポルノを教室で見たり。こうした描写には非常に現実味があり、女子校の必要性が論ぜられる理由もよく分かる。
転入してきた男子生徒スリに惹かれたミラが自分の体と性的につきあいチェックするようになる様子が面白いが(自慰に使ったぬいぐるみのにおいを嗅ぐなど)、以前からそうしたことに興味があったように私には見えた。彼女がアニラを嫌う大きな理由は、家父長制下にある家とは結婚前の女をセックスから隔てるものだからに思われた。不在がちな父は一見そのシステムに関係がないように感じられ好きでいられるというわけだ。盗撮されるからスカート丈に気を付けるようにとの注意が女性教師から女子生徒になされるのもこれに通じるところがある。
スリの「人には鍵がある」とは外交官の父について多くの国を移動してきた彼の処世術なのかもしれないが、ノックではなく鍵でもって勝手に心のドアを開けられていたと知れば気持ちは冷める。彼が女性教師を始めアニラや自分にそれを行っていると聞いた時、名門校を出たが家にいるしかないアニラにつき「構ってほしいんだ」と分かったふうに言われた時、ミラには「私たち(女性)」という感覚が芽生えたはずだ。アニラの「私の家の客は私が決める」は(その時は女性に向かって言われるが)そうした操作に毅然と対する自己決定の態度なのである。冒頭から印象的に撮られていたミラの手は、最後にその母親に優しく辿り着くのだった。