TIFF/NFAJクラシックスの映画監督吉田喜重特集にて、愛知県が企画したビデオ作品二本を観賞。制作は1992年・1993年。
愛知県各地に存続する祭事を記録したドキュメンタリーなんだけど、始まって数分で、これらは全て「作り物」なんじゃないかとの思いが湧き上がってきて、映画ってそういうものだよなと面白かった。素朴な精霊信仰がやがて芸能へ…といった解説も内容に関係なく嘘のように聞こえ、自分の脳内の記憶から遠いものほど準備された光景に見える。聖なる水を一人汲みに行く花太夫の男性が祭りの翌朝、妻に一人ぶん淹れてもらったお茶を飲む、喉がごくりと鳴る音が幾度も響くのが何とも異様だった。
私が幼少時から毎年行っていた祭りも取り上げられているが、かき氷を食べて花火を見る子どもや参道からちょっと移動すれば存在した90年代らしい街並みが映るわけでもなく、いつの世も同じ祭りの「本体」(この言葉、こうして使えばいいのかという気付きを得た)だけが残されている。最初と最後に挿入される光景は、徒歩圏内の祭りなのに私の与り知らない場所で、確かに川辺の葦という、祭りの本質に関わる部分なんだけど、人はもうそこから離れているし、これが彼の映画なんだなと改めて思った。
それもまた「本質」を残すためなのだろうか、「観客」には女も少し映されるが本当にどこもかしこも男ばかりだな、スタッフも名前からの推測だけど全員男だなと見ていたら、祭りにおける剣の舞は普段虐げられている農民が唯一刀を手にできる機会であったとのナレーションが入り、そうしたことはなかなか女のところまで降りてこないものだなと考えた。実際にその時を生きる者にとっては本当に歩みが遅い。だから昨年訪れた祖母の故郷の村上大祭で、唯一女性が「上」に乗っていた屋台が嬉しく手を振って写真を撮ったんだった。