
多くの映画に描かれている、弱者は矛盾を引き受けねばならないということがここにも認められる。「女の子には残酷すぎる」この世界において若い女性は見えない存在でありながら常に好き勝手に見られる。消えても気にされないが消えない限り自由になれないということだ。だから女二人は「毒キノコ」を半分ずつ食べ死ぬごっこをする。現実では全てが阻まれるから幻想にこそリアルを感じる。「ストッキングを履くことすらできない」と夫に蔑まれる、そのストッキングの線が四本並ぶ崖の上、その列には消えたポーラも大学の女子学生達も、学部長の妻でさえ連なっているように思われた。
冒頭列車の中で『くじ』を読み興奮したローズ(オデッサ・ヤング)は夫フレッド(ローガン・ラーマン)の腿に手を伸ばしお手洗いでのセックスに誘う。到着した家では愛想が悪いどころではない作者のシャーリイ(エリザベス・モス)を追って声を掛ける。そんな積極的で快活な女性も、男の思いつき一つで閉じ込められ自由を奪われる(スタンリー(マイケル・スタールバーグ)に「君達にお願いが…」と言われるが家事と聞くやその場を離れ女の子らの方へ行くフレッド)。はからずもその家の中で、家から出られない二人の女が向き合うことになるわけだけども。
スタンリーは度の強い眼鏡の奥から「全てにおいて恵まれている」フレッドの初講義姿を見る。ユダヤ系の彼がシャーリイに「僕らはいつもアウトサイダーだった、闘い続けてきた」とはこういう時だけの同士気取りとでも言おうか、何とも「あるある」だ(「システムを利用している」のはお前もだろ?という。このことは私も自戒しなきゃ)。作中の男と女のやりとりには幻想とは真反対の今なお通じる現実が満ちており逃げ出したくなる。スタンリーがシャーリイに「好きに振る舞ってもいい」と許可した冒頭の食卓から若夫婦が退いた後、夫は妻の作品を徹頭徹尾上から目線で批評する。そこへ彼女が「同意していない」、夫の「浮気相手」からの電話。
ローズは作中最後にフレッドに「『若奥様』『可愛いローズ』なんて言われてた時こそmadだった」と言う。女は男の残酷さにある時くるうのではなく耐えている状況こそくるっているのだと。シャーリイが彼女に彼の「浮気」を隠していたのはどのみち分かるそのことを今、分からせるためだったのだろうか。自身は小説を完成させることで消えた女性を生かすのと同時に死なずともある種の自由を手に入れることができる。蔦のからまる屋敷の小さな窓から外を見る映画の終わりのシャーリイは、少なくともローズを、あるいは自分の分身を逃がした満足感は得たように私には見えた。