テノール! 人生はハーモニー


「置かれた場所」から抜け出すのには…主人公アントワーヌ(MB14)のような境遇の側にのみ…こんなにも苦しみが伴うという話である。その苦しみは境界の向こうの人々ゆえでもあるがこちら側の仲間ゆえでもある。当初は自身もお高くとまってと馬鹿にしていたオペラの練習をしていると言い出せず、ごまかしが「嘘」と取られ溝が広がる。一方で父親の家に劇場があるほど裕福なジョゼフィーヌの「なぜクラスに入れたの?」にも「マイノリティ優遇枠で」と嘘をつく。うまいジョークだが訂正されることなく終わるのが悲しい(例え彼の実力に彼女が納得しても)。

パリ郊外の団地に暮らすアントワーヌの世界では地区間抗争が絶えず、幼馴染のサミアの兄がラップバトルでもって男達の暴力衝動を発散させている。アントワーヌは暴力を忌み嫌っているように見えるが(それは違法な賭け決闘までして稼いだ金で彼を大学へやっている兄のように保護者の側じゃないからなのかもしれないが)、男ばかりが出ているらしきラップバトルでは互いの母親を性的にディスるのが例によってお約束、その実どの家庭でも「ママが一番」だなんてアップデートされていない古典落語のようにつまらない。こうした「男らしさ」が前述の苦しみを増長させているのは間違いない。しかもアントワーヌ個人の暴力からの距離を際立たせるためなのか、女の方が彼の体に無断で触ったりキスしたりしてくるというのはよろしくない。

アントワーヌの働く寿司店オペラ座は近所であり、格差社会において場は主に客と労働者という接点で繋がる。柵を飛び越えて入ったオペラ座は、教師のマリー(ミシェル・ラロック)もかつてそうしたように、選択によって彼の「家」となる。そしてここは「学校」でもあるのだった。作中出てくるもう一つの学校、兄の望みに従ってアントワーヌが通う大学の経理のクラスが人種も年齢も様々なのに対しオペラ座の方は、いわゆる「卵」を育てているというのを差し引いても驚くほど画一的だ(「オペラ座を率いる」ピエールいわく「我々は国のお金を使っている(のだから変なやつは入れられない!)」)。最後に堰を切ったように仲間がなだれ込んでくるのは、ベタだけど文字通り門戸が開かれた、こじ開けられたことを表すいい場面だった。