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マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルのオンライン上映にて観賞。バンドデシネ作家のニーヌ・アンティコが脚本監督を手掛けた2021年作品。

主人公ソフィー(サラ・フォレスティエ)はイラストレーター志望、親友のジュリア(レティシア・ドッシュ)は女優志望、ルームメイトのルイーズはソフィーいわく「弁護士のインターンとボクシングを並行してやってるなんて、人を助けたり殴ったりするんだから笑える」(そしてあの顛末)。ジュリアの女優ネタで笑わせる場面があるのに対しソフィーが持ち歩いているスケッチブックの中身を私達は見られないばかりか絵を描いているシーンすら終盤までないのを不思議に思っていたら、最後にどーんと、これは面白かった。

オープニング、メトロの乗客達の顔、顔、顔。将来なんて心配ない、愛があれば大丈夫、でも…というナレーションに始まり「どんなに給料が低くても接客業よりいい」「言っておくがぼく(経営者)はクズだぞ」なんてBD、じゃなかった「グラフィックノベル」出版社の面接、相変わらず続く相性や理想についてのナレーション、何の話だと思ったものだけど、そういう話なんである。絵で認められたい、せめて愛があれば、どっちにしても食い扶持はかせがなきゃ。それらが同時進行するのが人生。「ボエーム」の一種みたいだなと思ったものだけど、現代にして現実的な、しかも女の話なので、「運命の恋人」とは出会わないのに妊娠だけはするは、好きなことが全くお金にならないので最低賃金で働かなきゃならないはで散々である。

ソフィーが妊娠し中絶するくだりは、相手の男の態度は最悪ながら(伝えた際の第一声が「産んだら子育てを手伝う」であるらしきことが示される)フランスでは経口薬が使えるのであの程度の出来事で済んでいるのであって、日本の人々が女から取り上げたままでいたいのはまさにこの環境…「自由」とは言わない…なんだろうなと思わせられる。彼女が現在行き詰っているのが、保険証の更新を怠った(お金が無く出来なかった?この辺は私にはよく分からなかった)、大学に行けたのに行かず訪ねてみた学校は年齢制限でもう受験できなかった、などいわば「自分のせい」だというのがいい、特に女のそういうことはもっと描かれるべき。だってそういうものだから。その精神が最後のナレーションにも繋がっている。