ローズメイカー 奇跡のバラ


バラ育種家のエヴ(カトリーヌ・フロ)が「あの人にとってバラは単なる商品」と軽蔑している大企業トップのラマルゼル(バンサン・ドゥディエンヌ)に冒頭投げかける「自分で作ってないんでしょ」から、彼女が最も大切にしていることが分かる。映画の終わりの彼女の「これは私が作ったんじゃありません」からは、その一番大事なことを人と分かち合うようになったのだと分かる。

「ミナリ」じゃないけど、これもちょっとした椅子映画である。温室の脇の大きな木の下にぽつんと置かれた椅子でエヴは一人、パイプをくゆらす。それは家長のしるしなどではなく、何でも一人でやる、他人は眼中にない人の椅子である。きっと亡き父のものだったんじゃないか、最後にそれに背中を守られて、彼女はフレッド(メラン・オメルタ)を送り出す。

これはまず、自らの意思で家族を作る物語である。バラのこと以外には全く気が回らないエヴが親に捨てられ刑務所に出入りしてきたフレッドの差別発言だけはしっかり諌める場面が序盤に繰り返されるのは、年長者に必要な態度とはまずそれなのだと言っているようにも思われる。

産みっぱなしの親より心傾けてくれる近くの他人、過去より今。本作ではこのことがバラの交配や栽培にも重ねて語られる。「奇跡」が何らかの結果の比喩として捉えられる映画とそうでない映画とがあるけれど、これは前者。原題の「La Fine Fleur(素晴らしい花)」と邦題の「奇跡のバラ」は同じものを指しており、あの、偶々に見える結果は、エヴと人々の交流の結実なのである。

当のバラの撮り方が、何というか大変に「生きている」という感じでよかった(私はあれを「フランス」らしいと思う)。序盤は部屋の紙屑をバラに見立てているのも面白い。開けた缶詰にフォークを刺して出そうとしていたのを、ふと顔をあげたらピンクのバラと目が合って、思い直してお皿に広げて出すシーンもよかった。エヴにとってバラを見るのはもう一人の自分との語らいのようなものなのだと思う。