君の誕生日


映画の始め、仁川国際空港に降り立ちタクシーでどこかへ向かうジョンイル(ソル・ギョング)の道のりが「出かける」ようにも「帰る」ようにも見えないのに少々困惑させられたが、その理由は次第に分かってくる。彼はいったん途切れた道に現れたのだと。

韓国の集合住宅に人が出入りする際のピロピロ音は映画やドラマでお馴染みながら、暗証番号を入力している姿が映ることはまずない。それが本作の前半では頻出する。ここがジョンイルにとっても、彼との離婚を考えている妻のスンナム(チョン・ドヨン)にとっても家ではないから、外からの入口=玄関が何度も映る。そこが家になるまでの物語と言える。

照明の使い方などもあり全然家らしくないそこが、他人がやってくると一気に普通の家らしくなるのが面白い…がそれがいいことなのかそうでもないのか私には分からない。(「82年生まれ、キム・ジヨン」同様)弟の妻であるスンナムが台所仕事を一手に引き受けている法事が、ジョンイルの、父親への恫喝で壊れるのに、意外とこういうことによって家父長制に穴が空くのかもしれないと考えた。

親が半額の服を買ってくるのもパスポートに判を押してもらってくるのも、当のスホ本人がいれば何と言ったか分からない(反対に妹のイェソルは、愛があっても気が行き届かない両親によって泣かされることになる)。亡くした者からは何も返ってこない…と思っていたところが、終盤ジョンイルの嗚咽からの展開で、いやそんなことはない、一方通行じゃない、と言ってくるものだから驚かされた。ここには監督の強いメッセージを感じる。

ジョンイルが感情を吐露するこの場面で不意に、強烈に、映画そのものがばらばらになったような奇妙な感覚に襲われた。振り返ればそれは、特定の誰かに焦点を当てざるを得ない「映画」において、本当は誰もが当事者なのだという真実を突きつけられたことによる戸惑いだろう。しかしこれを経て、決裂していたジョンイルとスンナムの間に新たな結びつきが生じる。悲しみとは共有できないものだと思っているなら間違いだ、そうじゃないんだ、方法はあるんだ、という映画だと私は受け取った。