桃子さん(田中裕子)の「地球の記憶」の映像に続く炬燵にお茶とみかんの彼女の姿に、雨の晩にこうして屋根があるところに居られるって素晴らしいと思う、文明の元では保証されるべき、生き物の根源的な幸せとでもいうか。そこから「おらだばおめだ♪」が音楽になっていく、恥ずかしいから書かないけど実は私も脳内にこの手のことってある、この一幕がまず最高。
授業中に学生が小さな虫を怖がって騒ぐと、私は即座に潰して処分しまう。少々盛り上がる時もある。誰かと一緒の際、生き物を殺すのはちょっとした遊びにすらなる。考えたら恐ろしいけれど。この映画における夫婦生活の回想には殺した生き物を肴に楽しむ場面が二つある。山中で蛭を殺してもらってはしゃぐ桃子(蒼井優)に、シンプルな比喩として命の源である卵を毎朝食べている桃子さんが、よりによってこの日は黄身二つのそれを携えてきて相対するあの場面、すごかった。振り返ると序盤に桃子さんが新聞紙でもって床を叩きまくるシーンは、一人で命に向かい合うことのいわば楽しくなさを描いているように思われた。
例えばシャーロット・ランプリングを見ると「愛の嵐」が脳裏に浮かぶように、役者とは観客それぞれの記憶と共に登場するものだ。私は日本の映画やドラマをあまり見てこなかったけれど、それでも田中裕子にはやはり、同世代の沖田修一だってそうなんじゃないか、「おしん」を常に見る。だから、当時既に「昔」の話だったにせよ、ああまで苦労していない彼女を見るとああ、良かったと思ってしまう。その彼女によるこの作品は、私には、堆積というより上書き…過去からして今の視点で書き換えられているように感じられた。そういう類の映画。