透明人間


「透明人間」なんて何だか気持ち悪くて扱った作品をこれまで見たことがないので比べられないけど、この映画は面白かった。でも目がくたびれた。見てくるだけ見てくる卑怯なやつをこっちも見てやると目を凝らしまくるんだから、そりゃそうだよね。二度と見たくない。

セシリア(エリザベス・モス)がスーツを見つける場面、ほんのひととき、スクリーンに古のSFの匂いが充満する。しかし本当にほんのひとときで、考えたらこういう発明って映画じゃろくなことにならないよなと思ってしまった。「ロマンチック」と呆れて言いたい。

初めて「透明人間」が目に見えるのは天井裏に上ったセシリアが観客の予想していなかったあることをした時。その策をこちらに読ませないのはショックを与えて映画を面白くするためだろうけど、私には、しばらく後にやはりあることをしていたと判明するくだりも含め、彼女の「考え」は彼女だけのもの、という表現に思われた。ここから突如映画が面白くなった。

映画の序盤、セシリアはエイドリアンの弟トムに「彼は私の考えさえも支配しようとしていた」「別れようと考えていたら、口火を切る前に絶対別れないと言われた」と打ち明ける。頭の中さえ見られ支配されていたということだ。これはそこからの脱却、加えてそれを逆手に取って(エイドリアンにとっても、見ている私達にとってさえも)復讐&生存する話なんである。

このことを考えた時、最後にセシリアが鞄の中身を見せるのは(あれ、見せてるよね?)私には、信頼している相手には自分の考えを明かす、明かしておきたいという気持ちの表れのように思われた。