ソン・ランの響き


老団長の「恋を演じるには恋をしろ」が、(例えば「37セカンズ」の編集長の「セックスを描くならセックスしなきゃ」などとは異なり)間違いない真理として置かれているのに引っ掛かりを覚えつつ見ていたものだけど、終盤のリン・フン(アイザック)とユン(リエン・ビン・ファット)の「あの時おれが止めなかったらお前は衣装に火をつけてたか」「お前は止めた」とのやりとりに、これはこの世界にはこの世界の真理があるという映画なのだと全てが一気に心になだれ込んできた。何もかもが当然なんだと。

ここのところケイズシネマで見た二本のベトナム映画「サイゴン・クチュール」(2017・感想)と本作(2018)は(元・365dabandのメンバーが出ているという共通点!に加えて)いずれもタイムトラベルものであると言える。リン・フンいわく「タイムトラベルは三つのやり方で可能だと思う、誰かに会う、どこかへ行く、何かを見る、そのとき過去に戻ることができる」。その通り、カイルオンの劇場に足を踏み入れた時からユンは「昔は昔、今は今」との気持ちに至るまで旅をしたのである。最後に楽器を肩に階段を下りていく足取りは彼の新たな気持ちを表し軽やかだ。

本作の根には国が市民の表現を規制することへの批判がある。ユンの母親が「芸術委員会の決定」により役者の道を絶たれたことから悲劇が発する。80年代当時の舞台の描写の丁寧さには作り手の大衆演劇カイルオンへの愛情が窺える。舞台裏の銘々の働きや本番中に袖でセリフを伝える団員、その後ろに鈴なりで見守る役者達、管楽器にソン・ランと数々の弦楽器という編成のバンド。「いい役者になるには悲しみも体験しなくては」というのなら二人の愛と悲しみはカイルオンの中で生き続けるのだろう、そういう物語である。