娘は戦場で生まれた


「いつものように」爆撃を受けるアレッポの病院内で、ワアドの幼い娘サマの脇で誰かがいわく「『どうして私を産んだの?』と言ってるよ」。ナディーン・ラバキーの「存在のない子供たち」を思い出さずにはいられない言葉だが、これは冗談で、皆も笑うのである。
このドキュメンタリーには爆撃音、死体と血、瓦礫と埃、涙の合間に数々の笑いが収められている。自分とその周囲を撮り続けたワアドとそれをまとめたイギリスのエドワード・ワッツ監督の信条なのだろう。しかし、当初は辛苦の合間の楽しい一時を捉えていたのが、次第にそのような時間が無くなっていったのか、いわゆる当事者ジョークが増えていく。「背中があったかいと思ったら娘が空爆を怖がっておねしょしてた(笑)」「友達が言うには毎日の空爆は昼ドラみたいだって(笑)」「大統領が空爆してるのにここは寒いな(笑)」。そんな中での先の言葉である。

冒頭アレッポの町並みに「なぜ世界はこんなことを許しているのか」とのワアドのナレーション。話は革命の始まった5年前にとび、彼女はアレッポ大学の長い壁に自由と書いている学友の姿や反政府デモの様子を撮りながら「世界に知らせるには携帯で撮影するしかない」と語る。発信する内容は程無く起こった政権反対地域の住民への殺戮を皮切りに政権とロシアによる甚大な被害を訴えるものとなるが、「6千万人が見ているのに誰も空爆をとめない」。私も「世界」なのに何も出来ていない。当事者を起点とする作品の発信体制は整ってきたが、それに応えるにはどうしたらいいのか分からない。
遂には国連からの電話で「死にたくなければ降伏しろ」とロシア軍の通達がなされる。何日も待ったあげくに活動家として顔の知られた医師である夫ハムザと共に何とか検問を通り抜ける。その安堵と喜びが当初求めていたものからかけ離れていることに胸が痛む…のは私が当事者じゃないからであって、生存に賭ける生き様がそこにある。

エンドクレジットにはハムザが私をinspired、encouraged、supportedしてくれたとあった。本作は自由のために戦う同志(=生き延びるための家族)だったワアドとハムザの間に愛が生まれて育つ記録でもある。彼は結婚に際し「危険で恐ろしい道のりだが最後には自由がある」と言う。雪の日の口頭の「愛してる」と文字の「愛してる」、鏡の前での妊娠を告げる練習、連続勤務の合間に爆撃音の中で抱き合う姿、映画には愛とその喜びもあふれている。
我が子サマへの揺れ動く心の記録でもある。ハムザが病院から離れられないため、ワアドはその内に「家」を作り娘を育てる。彼の両親の住むトルコに出掛けるもアレッポに帰れなくなるが、娘を預けることはせず前線をかいくぐって戻る。娘は許してくれるだろうか、との逡巡の告白を収めつつも作品を締めくくるのは「もしもう一度繰り返すことができるとしても絶対に同じことをする」。これはあまりに強い。この映画はある満ち満ちた強い人生の記録なのだと思う。