ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密


これまで見たミステリー映画の中で一番ってくらい面白かった。映像ならではとしか言えない語り口に、映画には映画のために書かれた本が一番なのだと、そんなことないと分かっちゃいるけど思ってしまう、クリスティ原作ものに感じてきた不満を振り返ると。

満席の場内には所々で笑いも起きていた(私が結構笑ってしまったのは、夜の帳のカットからの、フランク・オズ、まだいるのかよ!という場面・笑)。屋敷内に満ちるこのちょっとしたユーモアは、肖像画でもって亡き後もここをまとめるミステリー作家ハーラン、クリストファー・プラマーによるものかもしれないとふと考えた。

もしこれがポアロものなら、孫のメグ(キャサリン・ラングフォード)とジェイコブ(ジェイデン・マーテル)も事情聴取されているところだが、それが無いのは国や時代の違いだろうか。クリスティならおよそある「ロマンス」が排除されているのも現代らしいと思わせる。

(以下少々「ネタバレ」あり)

冒頭ハーランの家政婦マルタ(アナ・デ・アルマス)の自宅での妹に対する母のセリフ「お姉ちゃんの友達が亡くなったばかりなのに」が、80代の大富豪の雇い主のことを当人じゃない家族までがそう言うだなんて余程「友達」に違いないと妙に心に残ったものだが、終わってみればやはりそういう話に思われた。血の繋がりより「友達」なのだ、家族であることにあぐらをかくなと。

遺言状の内容を聞いた時、リンダ(ジェイミー・リー・カーティス)とリチャード(ドン・ジョンソン)は「私達にできないことをやってのけた」と言う。他の人々も同意する。人は善が何であるかを知っている。しかしなかなか実行できない、とりわけ自分に影響が及ぶとなれば。そういう話である。しかし探偵は「真の悪人はエゴで殺人を犯す者」、つまり彼らは真の悪人ではないと言ってくれる、そういう話でもある。

オープニング、ハーランが死んでいるのを発見した家政婦のフランが朝食のトレイを落と…さなかったおかげで「My house/My rule/My coffee」と書かれたマグカップがマルタの手へと渡ることになる。「家族」ではない者の手から手へ、とは面白いと思ったものだが観賞後に読んだこの記事によるとあのラストシーンは偶然の産物だったという。まあそんなものか。