プリズン・サークル


「僕には事情があるから嘘しか言えないんだ」という少年の言葉を世の人々に伝えんとこの映画はしているわけで、そのメッセージは明確である。対話からの更生を目指すこのTC(Therapeutic Community=回復共同体)プログラムを国内40万人の受刑者のうち40人しか受けられていないだなんて、応援したい、と私も思う。同時に性犯罪者の存在が(冒頭の文以外に)全く取り上げられないのには何度も被害を受けた身としては複雑な感情を覚える。現金なもので、参加者の被害の告白のうち明らかな性被害を聞いたのみ体に震えが走ったものだ。この映画はそれについては取り組みの方も観客の方もまだ段階にないと踏んでいるのだろう。

それにしてもTCの参加者のよく喋ること!長丁場撮影した上での被写体の選択から編集やら何やらにもよるんだろうけど、とても驚かされた。「こんなふうに大勢の前に立つのは初めてなので緊張しています」などと言いながら豊富な語彙でもって理路整然と話をする(従って、時にカメラが捉える沈黙も雄弁である)。複数名で準備をしてファシリテーターの役割もこなす。尤も出所後の集まりにおいて「あそこは語る場だからね、考えて語ってたけど、出てみたら考えたようにはいかない」と言っていた人もいたけれど。出所後のパートによって、この映画はせっかくの取り組みを活かし切れない社会の不整備も訴えている。

ある夏の日、一人に一本配られる水色のチューペット。あんな楽しいものを食べる時に皆無言だなんてとても奇妙な感じがする。冷たさに懐からミニタオルを出してくるむ姿が印象的だった(そこにだけ、いわばその人らしさがあるわけだから)。食事の時間だって、喋ってもいいのにと思ってしまう。こんなことを考えるのは間違っていると思うけど、彼らにあのような一律の言動をさせる私の預かり知らないあの場の空気、それが彼らの口を動かす最初の一押しにもなっているのかもしれないとふと考えた。

それにしても、「自分も被害者を亡くしてるんで」とは心のどこに片付ければいいか実に分からない文だった。