LBJ ケネディの意志を継いだ男



LBJを名乗ったリンドン・ベインズ・ジョンソンの大統領就任前後を描いた伝記もの。ちんこの話はするがちんこを見せることは決してない男にウディ・ハレルソンがはまっており、ジョン・F・ケネディジェフリー・ドノヴァン)の「あの男はああ見えて繊細だから…」で場面変わってジョンソンがトイレのドア全開でうんこをしながらやりとりするがズボンを上げる時にはドアを閉めさせる、なんて描写が楽しい(笑)


映画は(ジョンソンの故郷テキサスでの)ケネディへの歓声に対して国民の与り知らないところで「史上最高の院内総務」として全会一致を目指して働くジョンソンの様子に始まり、執務室で仕事に励む姿に終わる。自分は見目の良い馬術用の馬ではなく馬車馬だと卑屈に語っていた彼が、それを受け入れて能力を発揮するようになるまでの物語である。作中最も生々しく熱を帯びたスピーチ…「彼らは100年前は奴隷だった、100年後には大統領になるかもしれない、だが今は?それを我々が決めるのだ」…は同僚を説得するための内輪でのものであり、記録に残る作中最後のスピーチはケネディのスピーチライターだったセオドアが(ジョンソンの右腕の誰だかの助言を受けて)それを元に書いたものだというのが、LBJのあり方を示しており面白い。


「テキサスで教師をやっていた頃も報われなかった」とのセリフに、作中のジョンソンはどんな教師だったのだろうと考えながら見ていたものだが(やめた教員の第一義は「やめた教員」であるが)、まずは彼ほど誰をも置いていかないよう心を砕いている者はいない。ケネディ兄弟は理想のために南部を切り離そうとするが、ジョンソンはぎりぎりまで、いやもう終わってしまってからも一部を切り捨てる形にはすまいと交渉を続ける。その事の進め方は、ラッセ上院議員リチャード・ジェンキンス)の「なぜ嫌な奴(「黒人」)の隣でハンバーガーを食べなきゃならない?」への「ハンバーガーを食べろと強制はしていない」に表れている(議員は「そんな細かいこと!」と返すが全然細かくなどない、彼はこの時気付くべきだったのだ)。このセリフから教員ならどんなだか分かる。


冒頭、ジェニファー・ジェイソン・リー演じるレディ・バードは見出しを気にする夫から新聞を取り上げる。後に「皆は自分を求めてはいない」とウイスキーとアイスを手に寝室へ入ってきた彼への「食べちゃだめ」には、「スリー・ビルボード」でハレルソンが導く、酒とお菓子と共にあったサム・ロックウェルを思い出した。彼には「ママ」はいても、「大人であることをやめてはいけない」と諭してくれる、同時に「あなたは愛されている」と抱きしめてくれるパートナーがいなかったのだと。そして大切なのは、ジョンソンもかつては誰より強硬に公民権法に反対していた、すなわち人は(ここでは身近な人との関わりにより)変わるのだときちんと描かれているということだ。