きみへの距離、1万キロ



デトロイト。言い争うカップルの女の方の表情に、あんな顔付きで何を訴えているのかと思えば、対する主人公ゴードン(ジョー・コール)の第一声は「I love you」。それから「僕には君だけなのに君は他の男ともセックスしたいって言うのか」。この場面や手ぶらでやって来た仕事の合間の女にまたがられる場面では、なるほど女の性欲に男が振り回されるという今世紀に入ったらしい描写かと思いきや、最後に振り返るとこの喧嘩の内容にも違った意味が感じられる。あの写真の彼女は何を経てああいうふうに思うようになったんだろう。


北アフリカ。アユーシャはバイクで街に向かう途中、黒く長いコートを脱ぎ軽いデニムの上着姿になる。私が高校生の頃、通学途中にスカートの腰のところを巻いて短くしていたようなものかなと思うも、砂漠を一人とばす様子はそれほど気持ちよさそうじゃない。ここに映る砂漠は、私には美しく感じられなかった。冒頭帰宅しての舞い上がる風など不吉だ。幾つもの映画で見て憤怒させられた強制結婚の描写はここではあっさりしたものだが、それでもやはり、猛烈に腹が立つ。


ゴードンは監視の報告書の内容について、ボスに「無害な」通行人ではなく「疑わしい」と書けと叱られる。そうしないと客からコスト削減を要求され仕事が無くなる、脅威が飯の種なのであり、敵がいなかったら我々は働けないのだと。これはそんな、人を見たら盗人と思わなければ成立しない社会で、「出会い系アプリの距離設定を30メートルに設定していた」男がやってのける話である。アラビア語から翻訳した「Dangerous」に決意する場面には涙してしまった(ちなみに翻訳してくれる人を見つける時の彼の身軽さがすごい、ああいう描写がこの映画のいいところ)


アユーシャが恋人と隠れて会うのは親族、いや社会に見張られているから。それを1万キロ先から彼らを監視しているゴードンが見つける。更にその監視が別の悲劇をも引き起こす。彼の行動は、私達を幾重にも取り巻く監視の輪を一気に突き抜けて外に脱出するようなものだとも言える。輪の中にいる彼には外への運動への渇望があった。美しい人に「危険」が迫っていた。彼にとっての「危険」とは、「父親と同じくらいの年の男」が「家と食べ物を与えるから安心して子育てをしよう」と自分を売り込む(この「子育て」の時に彼女がげえっとばかりに反応するのもリアル)のと真反対の、「自由を失うこと」である。


手を貸す方に主眼を置いてはいるけれど、今年見た何作かと同じく「危機に陥っている時には手を借りればいい」ということも根底に流れている気がして、それもよかった。エンドクレジットに戯れる二台のロボットは、監視用に作られたのにその仕事はしていないんだから、楽しい気持ちにさせられた。あるいはこれは、蜘蛛が巣に落ちたエサを救ったような話にも見えた。