ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書



最高に面白かった。レモネードを買う者が知るべきはレモンが入っているか否か、それに金を払う。それならば新聞は?


映画はベトナム戦争を視察したダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)が「同行した」タイプライターで情報を生み出すのに始まる。惨状を目の当たりにして魂を抜かれたようになっていた彼が、マクナマラ国防長官(ブルース・グリーンウッド)がマスコミの前で先のやりとりと真逆の内容を笑顔で口にするのを見た、すなわち「嘘」をついていると知ったところから話が始まる。彼と仲間の手で文書は「最高機密」でなくなる。
当時の情報の「目に見える」移動が面白い。原稿を手に下っ端が会社へ向けて走る姿から、街角の新聞屋の朝の様子まで(ライバル紙のスクープを確認する男達の前で吹き上げる風に舞う!)。セキュリティは人力だ。ベン(ボブ・オデンカーク)がついに目にするコピーの山、山、山。予告編にも使われている、彼の手でファーストクラスでシートベルトをされる大箱や、社内を引きずられる電信の長い紙なんてのには、「今」の時代からの楽しい視点を感じた。


メリル・ストリープ演じるキャサリン・グラハムは、「誰も読まない」書類まで丹念に勉強しているが、机に一人だけ資料を置くことも躊躇し、人前、いや男達の前では喋れない。そんな彼女が熟考する機会を得る。考えたあげく心を決め「あれは嘘」と旧友のマクナマラに会いに行く(この時二人がサンルームにてくつろぎ着というのがいい)。決断を迫られた際には趣意書の内容を引き「新聞社の仕事の何たるかを銀行も知っていたと裁判で主張できる」と口にする。それを見た、常に「ケイとも『話し合った』が…」などと彼女を立てて支えてくれていた会長のフリッツが、「後は彼女が決める」と身を引き、「It's my company」、会長の笑いで場面が替わって「振動」。あそこは私の胸も震えた。
証券取引所に入るグラハムを見送る女達、最高裁から出てくるグラハムを迎える女達の顔には敬意と希望が満ちていた。どこにもこういう「初めての女」がいる。今からだってそうだろう、例えば大統領にはまだなっていないんだから。


トム・ハンクス演じるベン・ブラッドリーは「we」の人である。秘書にも「面白くなってきた」と声を掛け、蚊帳の外ではいさせない。ニューヨーク・タイムズに潜り込ませるインターンの「全てが大切な仕事です」とは彼の教えだろう。
大統領の娘の結婚式の取材から締め出された際に「よそに頼めば情報をもらえる、憲法修正第1条に基づいた仕事なんだから」と言うことから、ブラッドリーの「we」とは一つの会社を越えた全新聞社のことなのだと分かる。私も「we」なのだと飲み込んだグラハムと彼が、全新聞社での「we」を達成する(机の上にあれらがばらまられる)時が映画のクライマックスに思われた。二人は初めて、同じ格好で、これまでのように上からの不安を煽るショットじゃない、下から見上げた形の堂々たる画面におさまる。


一見するとグラハムは「変化する者」、ブラッドリーは「変化した者」のようだが、連帯を掲げ実行する後者も完璧ではなく変わりうる余地がある。大義に向かうあまり、連帯の中にも個々の事情がある、例えば社主であり女であるグラハムには自分よりも多くの「勇敢」さが必要だということに気付かない。それを教えるのは彼の妻である。この時彼が、彼女の仕事のちょっとした作業を手伝っているのがいい。その後にグラハムの家まで走って行くのは、彼女の道のりをわずかばかりでも体感したいという気持ちからだろうか。
この映画を振り返って強く思うのは、自分の中にある「ブラッドリー」の要素である。登場時、待ち合わせの相手が来る方とは逆を向いて座っている姿が心に残っていながら、その後の彼の、自身とは考えの違う相手や一見些末に思われる人物のあしらいの冷淡さを流してしまっていた、「we」という大義に目眩ましされて。自分にも彼のようなところがあるのではないか?そんなことを考えた。