あなたの旅立ち、綴ります



オープニングの幼女の、続いて次々と映し出される同じ一人の女性の写真の数々に、映画において役者のこれまでの写真が作中の役柄に重ねて使われる時、何とも言えない面白さを感じるものだけど、その醍醐味が味わえる作品の一位が今年は間違いなく「パディントン2」であるとしても、二位はこれかな、などと思う。


白い衣裳でもって窓から外を見るハリエット(シャーリー・マクレーン)の背中から離れたカメラが豪奢な屋敷の中を映してゆく時、ふと頭に浮かんだのは「物を言わない」調度品…って我ながら変な言葉だと思っていたら、それで正しいのだった。誰かに物を言いたい、言われたい彼女は、唯一目に入る人影である庭師に文句を付けに下りてゆく。映画の終わりにThe Kinksの「Waterloo Sunset」が流れる時、彼女が「継承」をし終えてこの世を通り過ぎたことを改めて思った。


歩みは緩やかでも確実にこちらを引っ張ってゆく類の映画である。食欲の無いハリエットがワインをこぼしたところにこれまでとは異なる雰囲気の曲が流れる(それはアマンダ・セイフライド演じるアンがヘッドフォンで聴いているThe Regrettes「Hey Now」である)時、彼女が「それら」をよりによって「そこ」に仕舞い込んで忘れていたことが判明する時、そこへ盆を持ってきた家政婦が来客の居る場に笑顔を見せる時、アンとロビン(トーマス・サドスキー)が握手を交わすのをDJブースの中から見たハリエットがレコードを一枚選んで取り出す時、確実に引っ張り込まれる。


アマンダの実夫演じるロビンの「僕はキュレーターだ、DJの仕事はマイナーな素晴らしいものを皆に教えること、探検家がスパイスを広めるみたいに」とのセリフがあるが、私にはこれは、DJって何だろう、よいDJって何だろう、ひいては誰にもし得る、DJの仕事に通じる素晴らしいことって何だろうという話に思われた。それは「危険に晒されている子ども達」を保護する施設にて、少女に「白人が何しに来たの」と言われたハリエットが「教養を分け与えに」と答え、良い言葉遣いを仕込むのに通じる(私も彼女に英語を習いたいと強く思い、この場面に最もマクレーン起用の意義を感じた)。湖に手を繋いで入る時、まず足を踏み込むのは大人二人であることにも通じる。


作中では、余計なお喋りをせず素晴らしい曲を適切に流すのが「よいDJの条件」だとされているが、DJの仕事を勝ち得たハリエットが余計「じゃない」お喋りで世界に伝えるのは「directly,honestlyに生きてmean something」ってこと。アンいわく「彼女は私達に可能性があると知っており、それを引き出すために挑発していた」のである。それこそが「誰にもし得る、DJの仕事に通じる素晴らしいこと」じゃないかと私は思う。この映画で一番重要な単語は「explorer」であり、これは、DJというのは探検家である、よいDJというのはよい探検家である、いや、DJでなくてもよい探検家になることは出来るという話なんである。


映画の終わりに旅立つアマンダの目化粧が濃いのが目立った。それは「アン」がそのように化粧したということではなく、作中その時が一番意思が強いということの映画における表現なんである。翻ってマクレーン自身の化粧を思った。