文七元結ではない文七元結の会



開口一番(三遊亭あおもり「狸の鯉」)
橘家文蔵文七元結異談」
 (中入)
三遊亭白鳥「聖橋2017」
 (12/5・らくご@座・高円寺


よそで「文七元結」が出回る前にと?開催された「〜ではない会」は、開口一番(あおもりさんの「狸の鯉」よかった☆)の後に高座に上るのをためらってみせた文蔵の「文七元結ね〜」で始まった(笑)


文七元結異談」の開始早々、というか橋の場面までは普通の文七だから、まあそれを改めて聞いて、映画「希望のかなた」を見たところなので、ギャンブルやりたいなら一人になってやれよ!と思ってしまった(笑)そもそも私はこの噺が嫌い。「家族以外の人」の「命の危機」を救う心の機微なんてのはどうでもよくて、その前に家族の、命までいかない危機を無くせよと。落語を聞くなよと言われそうだけど、こういうことを考えるたび、確かに十年後に私はもう落語を聴いていないかもしれないと思う。
文蔵らしいのは、近江屋の主人の卯兵衛が「文七の碁もばくちとかわりゃしない」と言うところ。長兵衛と文七は「同じ穴の貉」だというわけ。「誘われたからって言い訳にはならない」。もう一つ面白かったのは、佐野槌の女将が手文庫(とは言わなかった、「二階の箪笥の中の箱」とか何とか)を女の使用人に持ってこさせるあたりで、この大店に「女の園」、というよりどこか「アマゾネス」めいた感じを受けたこと(笑)


白鳥さんの「聖橋」は「(略)そんな芸人の気持ちを想像して作ってみました」で始まるんだから元よりテーマが違う(笑)本人は「主催者の方に頼まれたので昔やったきりの録音を聞いてみたけど、演らなくなるのには理由があるわけで…」と言っていたけれど、私はこれ、全然いいと思う。白鳥さんの中での「奇をてらうこと」と「創意工夫」との違いが分かる。「落語家さんが実名でばんばん出てくるので…」という前置き、いや前もっての釈明にしても、彼らの役は「落語家」なんだから、いわゆる楽屋落ちじゃない。「落語家が落語を演る」噺って新作落語の中でも案外ない。映画作りを描いた映画を見るのにも似て(似て、ね、あくまでも)やっぱり面白いよね、そりゃあ。
ねじ込まれた文七の一部は「志ん朝の…」だから「ぶったりけったり」なんだよね(今は「ぶったりはたいたり」だよね、皆)。「サゲがあまりに馬鹿馬鹿しい」のくだりは、私は白鳥さんのサゲの捉え方を知っているから(どこかで書いているか喋っているかしてくれているから)、あのオチはさもありなん。ともあれ声の調子もよく、最高だった。