マッド・メアリー



第26回レインボー・リール東京にて観賞。とてもよかった。私、こういう、世界には優しさがあるけれど、どうしたって生き辛い、それでも何とか生きてる人の話って好きだな。身に染みる。メアリー役のサーナ・カーズレイクの表情も素晴らしかった。


映画は何かが放たれたような音に始まる。やがて刑務所の中の蠢きだと分かる。「シャバ」に出たメアリー(サーナ・カーズレイク)を迎えに来た母親がドアを開ける時、こういう場面って映画じゃよくあるけど、いつだって車の中には、待つ方には残酷な程の「いつも通り」の空気があるものだと思う。
尤も終盤のシャーリーン(チャーリー・ベイリー)のセリフに、彼女だって母親だって、そのタフさを地元で生き延びるために最大限、使ってきたのかもしれないと思う。シャーリーンがメアリーに訛りを直すようしつこく迫るのはなぜなのか、子どもの発音の間違いを大目に見ないのはなぜなのか、私にはそれは、多数である方、「正しい」方に付くという生き方の積極的な選択に思われた。それは彼女が「ジョン・カーター」について「あなたは幸せなのよ」と念押しすることにも表れている。


親友のブライズメイドになるが同伴者が居なくて困ってしまう…という始まりに、こういう映画ってちょっと前から男版はあるけど女版は無かったよなあ、そもそも「ブライズメイズ」然り女には友達がいるものだという前提の話が多いよなあと思いながら見ていたんだけど、「そういう話」ではなかった。
家に戻ったメアリーは酒を飲み、一人でクラブに出向く。入場待機列での「この間なんて入るのに一時間掛かった」というセリフや前後の描写から、この辺りにはそのような店がそこしかないのだと推測される(駅まで迎えに来てもらわなきゃ帰れないような町なのだ)。他に無ければ迎合するしかない、向こうが自分を嫌っていても、追い出されても、変装してまで行くしかない、それが今、必要ならば。このメアリーのパワーたるや。


メアリーがひょんなことから出掛けることになる一泊旅行(見ている方は始め「旅行」だとは思わない)。カメラマンとして働くジェス(タラ・リー)の「助手」として結婚式に出る場面に、旅行って一緒に物を見ることなんだ、いや、それこそが誰かと一緒に旅するってことなんだと気付かされた。これまでの式めいた場の数々とは空気がまるで違う。
ジェスの股の間のディスプレイにメアリーが映っているカットに抱く予感。帰りのバスの中の二人の顔といったら!下りてからの二人の表情には、それまでには無かった強みと弱みが伺える。セックスするって、自分と相手にそれを認めることだから、互いに対等になる行為のはずなんだと改めて思った。