カテリーナ、都会へ行く/来る日も来る日も/歓びのトスカーナ


イタリア映画祭2017にて、パオロ・ヴィルズィ監督の今夏公開予定「歓びのトスカーナ」と過去作を計三本観賞。



▼「カテリーナ、都会へ行く」(2003)はチョークの音に始まる。だらだらと板書を続ける教師のここでの授業は今日で終わり、しかし生徒達は最後っ屁も気持ちよくさせてくれない。ローマへの異動願いが叶い、自身の母校に通う娘の人脈をあてに自らは期待もしない学校に勤めるとは妙な気もするが、考えたらそういうことってある。終盤にぶち切れて言うように「仕事に満足感も得られない」なら、教員だって仕事に行かなくなり姿を消してしまう、そういう物語も誠実でいいと思う。


始めのうち、こういう父親、いや男っているよなあと思いながら見ずにはいられなかったけれど(「親と一緒に過ごすなんて嫌だよなあ」と言いつつの「俺はまだ若い」/「なんて聡明なんだ」と誉めた子に「子どもは所有物じゃない」と言われての激怒)、彼が娘のカテリーナに辞書で「徒党」を引かせた意味が、保護者の「同じ穴のむじな」ぶりを見る場面でつくづく分かる。でも彼だってむじなになりたかったのでは?そういう矛盾を抱えた人物って(映画では特に・笑)好きだ。もし彼の小説が本当に面白かったなら「どうにかなって」いたかもしれないが、「普通」の人間は皿を割ったりバイクで走ったりするしかない、そこにぐっときた。しかもカテリーナはまた少し違っていたという、あのラスト!


カテリーナが自分の家庭(いつもは自分が居る家庭)を「外」から見る場面が面白い。ヴィルズィ監督の映画って、誰にも心はあるがそう易々とは繋がらない感じがいいなと思うけど、カテリーナは、ザ・シンプソンズブルース・ブラザーズレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが好きな男の子に、その後にありがとうと言えるキスができる。あの優しさよ。


▼「来る日も来る日も」(2013)のとてもロマンチックなラストシーン、というかとてもロマンチックなあの構成、最近同じような作りの映画を見た気がするけど何だか思い出せない。作中アントニアが口紅を塗る場面が二度あるのが印象的だった。一度目は家から大急ぎで出勤する時(いつだって「大急ぎ」なのだ、あれじゃあね!笑)のエスカレーターにて、二度目は終盤「家へ帰る」時。


映画は勤務中のグイド(ルカ・マリネッリ)の姿に始まる。帰宅した彼が隣人に「これからお休み?」と言われる場面で夜勤なのだと確信できる。グイドはその仕事を「本も読めるし考え事もできる」と気に入っているふうである。コーヒーを淹れクッキーを添えてアントニアの枕元に持っていく、これが二人の「来る日も来る日も」かと思う。グイドとアントニアの住居が、これまで見たヴィルズィ監督の映画では初めてというくらい、実に素敵なのは、そりゃあ意味があると思う。


「少し歩いてから」封筒の中身を見る場面(ベンチの前を通り過ぎる人影が素晴らしい)と、「もう家へ帰ろう」の場面がとてもよかった。前者には、変わるつもりでいたのに変われない時、人は辛くなるに違いない(だから木を切るだの旅行へ行くだのと彼女は言うのだ)と思うが、後者には、ああこれが、いやさっきのあれだって、「来る日も来る日も」のうちだったんだと思う。でもって最後に原題の意味が分かる(「Tutti i santi giorni」とは「全ての聖人の日」という意味なんだそう)


▼「歓びのトスカーナ」はちょこっともたもたしてるなあと思ったけれど、この二人のように、傍から見たら全く分からずとも、生きているだけで疲れてしまう人というのがいるものだ。一ヶ月、一年、眠りたい、死んでもいいというような、そういう人がそれでも生きている映画って好きだ。自分と同じだと思うから。親だからといって愛してはくれず、男との間に愛もない、でもふとした時に触れ合う、例えばお医者や運転手が自分を気にかけてくれることがある、単に大変そうだからと助けてくれる。そういう描写もいいなと思う。


オープニング、黙々と歩む女の網タイツ、乳母車と赤ん坊、それを押す腕のタトゥー、彼女、ドナテッラ(ミカエラ・ラマゾッティ)にはそれだけしかないのだと分かる(実際、後に施設にやって来た時にそう口にする)。場面変わってベアトリーチェ(ヴァレリア・ブルー二・テデスキ)は小さな日傘、大きなストール、ワンピースから丸出しの下着。これは下着が丸出しの女と下着を着けない女の話だった。ここでのそれらは自由のしるしというより、「美容院にも行かせてもらえない」中での、つまり選択肢の無い中での、いわば消極的な自由への行為と言えるかもしれない。それでも二人の格好には、あれも生きることだと思った。


「人間の値打ち」(感想)は見事な車映画だったけど、こちらも車の映画と言える。作りは随分違うけれども。ベアトリーチェとドナテッラは小金と友達に心浮かれてバスに乗る。いや、望み通りに走らないバスよりやっぱり車の方がよくない?いや、やっぱり自分で運転したくない?と、ヒッチハイクのあげくに奪って逃げる(この一台目の車内での、女二人の思惑は全く違うのにとてもやばい感じになってゆく空気が最高)。頼んで、奪って、世界にあるものを使い倒す、ああいう感じって好きだ。