デヴィッド・ボウイ・イズ



ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催されたデビッド・ボウイ大回顧展「David Bowie is」(日本巡回展に行った記録)の最終日に撮影されたドキュメンタリー。昨年公開されたのを見逃していたのが、有難くも恵比寿で上映されていたので観賞。


映画は一人称視点で始まる。地下鉄の扉が開くとサウス・ケンジントンとの表記があり、マイマーふうの若者が我々を博物館の入口まで誘ってくれる(見終わった時にはそれは「私」となる)。本展のキュレーターであり本作の案内人のヴィクトリア・ブロークスとジェフリー・マーシュがバルコニーに立って映画の趣旨について話してくれるが、まずはやはり、日本での会場の寺田倉庫と全然違うなと思ってしまう(いや、あそこも楽しかったけれど・笑)


実際に展示の中に居る時はわあ!といちいち立ち止まってしまっていたのが、こうして映像でもって案内されると、冒頭に登場する若者があくまでもボウイ「ふう」であり随分あっけらかんとしていることからも想像がつくように、ある種の軽さがあって、それがボウイの、楽観じゃない、腰の軽さとでもいうものと被ってるような気もして、楽しかった。


撮影時にボウイが存命だったということは意識せざるを得なかった。「これだけの偉業をこなしてまだ生きているのがすごい」と言う男性もいれば、「あとは実際の彼をこの目で見るだけ!」なんて若い女性もいる。最後にブロークス氏が「これから世界を巡ります」と幾つかの国をあげるが、日本に来るのは更にその後。ボウイならその間どの位のことが出来たろうと思うが、それが「博物館」の仕事というか、そういうものなんだと思う(同時に「この展示を全てタブレットに入れて持ち歩きたい!」と言う女性の気持ちも分かる・笑)


前半では、私も魅了された「手書きの歌詞」の展示について多くの時間が割かれていた。トークセッションに登場したジャーヴィス・コッカーいわく「14歳の女の子みたいな文字(客席の笑い)」「ボウイは人間的なんだということを思い出せた」。音楽ライターの誰だかが「ボウイも努力と試行錯誤の人だったと、そしてこれらの言葉には必然性があるのだと分かる」と語るのには、やはり言葉の仕事をしている人だなと思った。続けて「彼が言いたかったのは、自分はこう表現した、あとは君が自由に受け取ってくれ、ということだ」。


Starman」について、ボウイが書いた歌詞を見ながら曲を聞く、あの展示にはやはり誰もが心奪われたようだ。その横に流れているテレビ出演時の映像について、「細身のジャンプスーツを着、髪を赤く染め、メイクをし、隣の男の肩を抱き(これらは全て、当時は「誰もしないこと」)、こちらを指差した」のをファンが「自分に向けてだと思った」と言うのに、そういえば最近ボウイが90年代にインターネットについて語った記事を読んだものだけど、彼の伝える、伝え合うことについての意識はずっと繋がっていたんだなと思った。そんな、難しいことじゃない。


面白いことに、いや当たり前なのか、「歌詞」はスクリーンよりも実物の方が心躍ったけれど、パントマイム「The Mask」に始まりボウイ自身の映っている映像の数々は、大画面で見るとまた一層よかった。この一ヶ月間で、「Rock 'n' Roll Suicide」に涙するあの少女の顔をスクリーンで二度も見るとはね!(笑)本人が居るわけじゃないけど、ボウイの絵コンテを元に展覧会のために作られた「ハンガー・シティ」のアニメーションに、「Diamond Dogs」のイントロの雄叫びが流れた時にはぞくっとした。


案内人が「見てほしい」と紹介するライブ映像は、ハマースミス・オデオンの「Rock 'n' Roll Suicide」の他に2000年のグラストンベリー・フェスティバルでの「Changes」と、2001年にポールの呼び掛けで開催された「The Concert for New York City」での「Heroes」。「カリスマ性」の話の後に見る前者の、ラフで余裕綽々のように見えて力強く目が離せないパフォーマンスもよかったし、映画を締める後者には、直前にマーシュ氏が取り上げた専門学校時代の成績表の内容…五年生の時には「完全な目立ちたがり屋」と書かれていたらしい(笑)…を思い出し、「自己表現欲」と「人間愛」の共存を思った。それは全然「難解」じゃない、私が一番嫌いなこと、つまり「人に埋もれて人に優しくしない」のいわば真逆なのだ。そして誰もが日々、実践できるはずのことなのだ。


とはいえ、実はスクリーンで見て一番ぐっときたのは、最後の展示室に飾られていた写真が次々と映し出されるところ。出版社の社長は「ボウイの名でgoogle検索すれば数十万の画像が表示されるが、映りの悪いものは一つもない、実にフォトジェニックだ」と言う。彼お気に入りのシベリア鉄道での一枚には注目したことが無かったので、改めてまじまじと見た。お客の中に「シン・ホワイト・デュークの衣装を着た彼が一番セクシー」という、却って誰も言わないことを口にしていた女性がいのたも嬉しかった(ちなみに彼女は、別の問いには「David Bowie is mine」と答える)。映画の最初にはボウイの「作品の意味は受け手が作る」との言葉が出るけれど、これだってそういうことだものね。