シング・ストリート 未来へのうた



あの、体育館でのMV撮影の場面はずるい、劇場でこんなにも涙が止まらなくなったのは久しぶり。でもこの映画はそこで終わらない、「未来への」歌だから。後にはそれと「対」になる、外へ、外へと向かう場面があり、ラストシーンまで続いていく。


(以下「ネタバレ」あります)


そうだよね、「Rio」といえばベースがかっこいいって話しかないよねとまず思う。冒頭、母に呼ばれて兄弟が揃って見る音楽番組に、「渡米中で出演できない」デュランデュランのこの曲のMVが流れる。デュラン好きな私だけど、このMVなんてどうでもいいと思う、でも主人公コナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)の兄ブレンダン(ジャック・レイナー)は「この魅力には独裁者だって敵わない」と言う。物語が進むうち、子ども、あるいは正当に子ども時代から卒業できなかった者にとって、世界とは独裁者に支配されているようなものなのかもしれないと思う。
後にホール&オーツの「Maneater」の流れる、いや彼らが流す場面で、レコードにあふれた兄の部屋が、かつてはそうでなかったはずなのに、今や「シェルター」であることが分かり切なくなる。だから最後の彼の、Yes!Yes!は心に染みた。


兄に新たなバンドを案内される度、コナーの作る曲とファッションが変わってゆく、進化してゆくのが面白い(後者がそうなるのも当たり前なのだ、「バンドだからビジュアルは大事」なんだから)。兄は「自分で曲を書け」と命じながら、弟が未だ知らない音楽を教え続ける。「create」に必要なのはこれらである。後にコナーが、自分を苛めるバリーに「君は何も生み出さない」と言い放つ時、バリーの事情を見ている私は、唇を噛みしめるその顔のアップに、彼には案内役どころか「誰」も居ないのだと思う。
面白いことに、例えば「Maneater」の場面の後にコナーが「Drive It Like You Stole It」を作る場面ではホール&オーツのぱくりにしか聴こえなかったのが、後のMV撮影時やエンドクレジットで流れる時には、同じ曲なのにちょこっと違うふうに、端的に言うと「Sing Street(バンド名)の曲だ」というふうに感じられる。これが「create」を表しているんじゃないかと思う。


コナーが「楽器なら何でも達者」なエイモン(マーク・マッケンナ)と二人で曲作りをする場面も楽しい。初めての共同作業「The Riddle of the Model」の際、歌詞を口にすると「こんなのは?」とその場で曲が生まれ落ちる、それを聴いた時のコナーの瞳の輝き。MV撮影に現れたラフィーナ(ルーシー・ボイントン)に「あなたが作ったの?」と言われ「曲を書いたのはエイモンだ」と即座に答える様子から、彼が相棒を尊敬していることが分かる。
この時には歌詞のテーマを問われて「人間性が分かってしまうとつまらない」と言い、当のラフィーナには「君じゃない、別のモデルについての曲だ」なんて答えていたコナーが、終盤には、化粧をせず「ハンバーガー屋で働くかも」と口にする彼女を思って「To Find You」との歌詞を書くのも面白い。その曲が二人を再び引き合わせる。


忘れられないのは、ラフィーナが、兄の家出を止めたコナーの母(マリア・ドイル)や、母親の病気の間に自分が友達と会うのを禁じた父の行為を「親の愛」、ロンドンで男に殴られて出来た顔の痣について「私が悪い」などと言っていたこと。これはバリーが親から受けた暴力をそのまま周囲に巻き散らかすのにも似ている、生きる為にそうするしかなかったのだと思う(翻ってコナーには、兄が居たというわけ!)
しかし兄が言うように「親だってただの人間」なのだから、彼らがそんなことをする一因が不景気にあるのなら、それはいつだって大問題だし、同時に、どんな子どもも勉強する機会を持てるようにしなきゃならない、などと思いを新たにした。


コナーとラフィーナが学校近くの公園で話す場面のバックに、少々わざとらしく、荷を運ぶ馬が通る。ダブリンだなあと思ったけど、そういやこの頃、いやもうちょっと前かな?小学生だった私の通学路にも馬糞の山があったものだ(馬こそ通ってなかったけどね/と、同居人に言ったら驚かれた・笑)