レヴェナント 蘇りし者



開始早々、太ってもレオ、というか、ディカプリオってこんなにも端正な顔をしてたのかと感動した。銃を構える姿もあまりに様になっておりかっこいい(ちなみに冒頭の一幕の最後、船べりにて背後の仲間から次の銃を渡してもらうという場面のおかげで当時の「銃」事情が飲み込め、終盤、彼が相手を追いながら銃を撃たない事に納得できるという演出は上手い)


他の男達にもはっとさせられた。ヘンリーを演じるドーナル・グリーソンは「妻の顔も忘れてしまった」とただただ「隊長」という存在になってゆき、次第に透明感とでもいうものに覆われる。ウィル・ポールターの、火の前でフィッツジェラルドトム・ハーディ)の話を聞いている時のあんな表情は初めて見た。こちらは次第に複雑な顔を見せるようになる。ディカプリオ演じるヒュー・グラスの息子役の青年(クレジットによると「Forrest Goodluck」という名前)の、背中越しに父親に語り掛けられている時の、私達の方を向いている顔のアップの美しさにも見とれた。


ただトム・ハーディだけは…彼のことは好きだし「ベイン」も「マックス」もよかったけれど、この映画の「悪役」を演じる彼は、どうにも薄っぺらく感じられてしまった。それはもしかしたら、グリーソンやポールターのように、次第にどうにかなってゆく(ように見える)ということが無かったからかもしれない。


冒頭、グラスはネイティブアメリカンの妻との息子であるホークに「白人はお前の肌の色しか見ない、言うことなど聞かない」「透明になるんだ」「目を伏せ、口をつぐんでおけ」と言い聞かせる。後半、フランス隊に略奪され連れ回されていた族長の娘のポワカが、ある夜中の場面において、私には「透明になって」いるように見えて、ああ、と思ってたんだけど、ダメなんだよね、頑張ったところで、透明でもいられない。奴らは探し当てて尊厳を奪うのだ。


バッファローの肝臓を分け合ったポーニー族の男と道中を共にするうち、グラスと彼は、降り出した雪を舌で受け止めて「遊ぶ」。作中唯一の、ディカプリオの「楽しそう」な笑顔が見られる。人の「最初の『笑い』」とはどういうものだったろう、なんて考えた。


グラスの「やっていること」は山岳ものに通じるところもあり、大好きな「運命を分けたザイル」に(私の中では)代表される、瀕死の人間が頑張る様も楽しめる。とはいえ折れた脚が数日、せいぜい数週間後には走れるまでになっていること「は」気にしないような映画だから、見ているうちに、グラス、もといディカプリオが酷い目に遭う度にショックではなく笑いがこみあげるようになってきた。


ところで、私にとって、今はヴィルヌーヴとイニャリトゥが「よく出来てるとは思うけどあまり面白くない」監督の二大巨頭なんだけど、前者の「ボーダーライン」を見たらデルトロやブローリンが超かっこよく、後者の本作を見たらこれまた皆、超きれい。何かあるね、これは(笑)